米民主党支持するユダヤ人
主要理由に職業的利害
所得移転政策も「やむなし」
古い世代の在米ユダヤ人家庭には「共和党には投票しない」という家訓があった。その昔、差別された移民であったユダヤ人にとり、「移民、マイノリティーの党」、民主党に投票することはごく自然な選択であったからだ。
熱狂的とも言える彼らの民主党支持を決定づけたのは1930年代のフランクリン・ルーズベルト政権であった。当時、民間大企業から露骨な就職差別を受けていたユダヤの若者たちはルーズベルトが肥大化させた公共経済部門の中で、公務員、教員として職を得ることができたからである。しかし、それから80年近くが経過し、かつての被差別少数派から、富めるパワーエリートへ成り上がった今日の在米ユダヤ人。その彼らの間でも依然として民主党支持は根強いのである。
民主党の候補であれば、ユダヤ人にとりあまり人気の無い大統領候補でもユダヤ票の65%を獲得できるという言説が米政界の消息通の間で語られているほどだ。なるほど、「イスラエルに厳しすぎる」と批判を受けながらもオバマは昨年の大統領再選でユダヤ票の69%をどうにか獲得している。平均値は75%だ。
ビル・クリントンのようなユダヤ・イスラエルびいきでつとに名高い候補なら85%近く取ることも可能だ。
若い頃に染まった民主党支持の体質を一朝一夕に捨てきれぬ高齢者世代はいざ知らず、もはや、差別も知らず、何不自由ない裕福な家庭で育った若い世代のユダヤ人までもが、いまだに「弱者の党」民主党を支持し続けるのは、一体いかなる理由からであろうか。
それは彼らの職業的利害から説明可能だ。
まず代表的なユダヤ人の職業、弁護士から見てみよう。ゆきすぎた訴訟社会はアメリカ企業の体力を奪い、国際的競争力を弱めるというのが共和党の持論だ。共和党は企業の製造者責任を追及する米消費者の訴訟行為に歯止めをかけようとしてきた。
これに対し、全米平均の8倍強の割合で法曹を輩出しているユダヤ人社会は危機感を募らせている。飯のくいっぱぐれとなってしまうからだ。訴訟社会の過熱状態を維持し、自分たちのビジネスチャンスを守り抜きたいユダヤ系の法曹は共和党のライバル、民主党に投票せざるをえないのである。因みにユダヤ系法曹は米法曹人口の15%、17万1500人を占める一大勢力なのだ。
ユダヤ人は全米医師の12%、10万人を輩出しているが、医師たちも国民皆保険をめざす民主党オバマの医療保険制度改革をもろ手をあげて支持しているのだ。これまで無保険状態に置かれ、医療の埒外に置かれてきた莫大な数の貧困層があらたな顧客となるからだ。
大学教授も人口比5倍強の割合でユダヤ人が占めている「ユダヤ的職業」だ。教授総数の10%、一流校に限定すれば、その割合は35%に跳ねあがる。彼らの職業的利害も民主党支持へと彼らをむかわせている。州立大学はもちろんのこと、私立大学でさえも、州政府から給付される多額の公的助成金は学内の研究・教育体制維持のために不可欠な財源だからだ。大学は政府支出への依存度が高い「産業」なのだ。だから大学教授にとっても「小さな政府」を志向する共和党より、「大きな政府」を目指す民主党の方がより好ましいのである。
ユダヤ人は米メディア・エリートの半分を占めていると推定されるが、彼らの職業的利害も民主党支持で一致している。それは表現・報道の自由を守りたいからに他ならない。
アメリカのテレビ番組、映画の中には過剰な暴力・セックスシーンがあふれている。それらの規制を求め続けてきたのが共和党の主要支持基盤のひとつ「社会保守」の人々だ。
だとすれば、メディア関係者たちは表現と報道の自由を重んじるリベラルな民主党に肩入れせざるを得ないのである。また、米メディア関係者にとり頭痛のタネである「中国製海賊版ソフト」による著作権侵害の取り締まりに、より厳しく臨む民主党の姿勢も支持度を高めるポイントとなっているのだ。
弁護士、医師、大学教授、メディア関係者以外のユダヤ人については「反ユダヤ主義のリスク軽減」という見地から、彼らの民主党支持が説明可能だ。
「小さな政府」を実現することで財政支出を減らし、富裕層減税を目指す共和党は高額所得のユダヤ人にとり、もちろん歓迎すべき政治勢力だ。しかし、良いことばかりではない。自由競争を尊重する共和党政権のもとでは貧富は拡大し、その結果、社会不安の増大を招きかねないからだ。アメリカのような多人種・多民族国家では格差への不満は民族間紛争に直結し、反ユダヤ主義を生み出すからだ。
それ故、ユダヤ人たちは成功した自分たちに対する成功していない人々の反感(反ユダヤ主義)をなだめるためには政府による所得移転もやむなしと考えるのである。「福祉に手厚い国家」での所得移転は反ユダヤ主義のリスクを減らす有効な手だてと考えるのである。
歴史を通じて反ユダヤ主義の辛酸をなめ尽くしてきたユダヤ人ならではの深慮遠謀と言えよう。
(敬称略)
(さとう・ただゆき)