復讐と分裂の「イスラム国」
イラク旧政権派も共闘
軍事攻撃を懸念するサウジ
古来より西のナイル・エジプト、東のメソポタミア・イラクは、レバント(地中海東部沿岸の中東地域)を中軸として、釣り合い人形の弥次郎兵衛の如く中東世界のバランスをとってきた。イラクは北にトルコおよびクルドの地、西にシリアなどレバント、東にイラン、湾岸、そして南にアラビア半島と中東のど真ん中に位置しており、モザイク的形態が内在する国である。
しかし、この優れたバランス機構がイラクの危機で崩壊し中東世界分裂は避けられない、と言われ始めている。エジプトが騒乱の中から立ち上がり、中東に希望が見える中でイラク危機が再び叫ばれることは、この世界の持つ環境の複雑性を示すものである。部族的連帯性(アサビーヤ)と宗教的連帯性(イスラーム)からの離脱を図る国民的連帯性(ワタニーヤ)の三者三様の主張が同時に相対するとき、混乱は拡散し、重層的に交錯し、解決への糸口は見失われる。
イラクのフセイン・バース党政権が崩壊するやいなや、イラクのイスラーム・アリー派すなわちアラブ・シーア派は建国より前に復讐(ふくしゅう)への道を走った。多くのアラブ・スンニー派が殺された。特にバース党、イラク軍兵士がその刃に掛かり、砂と川を血で染めイラクは復讐の地と化した。やがてサダム・フセインも処刑され、国家再建の道も定まり、シーア派を中心とする新国家は動き出したが、再び新たな混乱が西方から始まった。復讐の対象となったスンニー派の報復的復讐が開始され、イラク全土で終わりのない復讐劇が始まり、シーア派の犠牲は数を重ねた。こうしてイラクを舞台にイスラーム教徒同士が殺し合うという悲劇が10年近く演じられてきた。
その中心にいるのが、今話題となっている「イスラーム国」という集団で、アブー・バクル・アル・バクダディと名乗る人物が指導している。彼の目的はイラクにイスラーム国を建国するというもので、近年イスラーム過激派が主張するカリフ制度の復活を主張している。この集団はシリア動乱が始まるとその活動範囲をシリアに拡大、ヌスラ戦線と共闘関係を結び、その名も「イラク・シリアのイスラーム国」(ISIS)と名を変えた。
この段階で彼の目標は、シリアを縦に走るアレッポからヨルダン国境に至るダマスカス街道の東方からバクダードの西方に至る広大な沙漠地帯にイスラーム・カリフ国家を再現することに拡大した。オスマン・トルコ帝国を最後に消えたカリフ制度の復活は、分裂ゆえにイスラームの持つ力が失われていると考えているイスラーム教徒も少なくないことから、ISISの主張を理解する教徒はいるかも知れないが、イスラーム教徒を殺しての達成は否定される。それが原因であったのかは不明であるが、ISISはアイマン・ザワヒリが指導するアル・カーイダから追放された。
6月28日、イスラーム世界は断食の月に入った。新月から新月までの間、太陽の出ている間の断食は灼熱(しゃくねつ)の7月一杯という期間から今年の断食は苦しいものになる。その日、バクダディは「イスラーム国」の建国を告げ、カリフ制度の再建を宣言した。こうしてイラクとシリア・レバントの間の沙漠地帯に突然として「イスラーム国」が出現し、カリフ・バクダディが誕生した。沙漠の蜃気楼のようにそれは突然と出現したのであるが、その実態は今のところ不明である。
しかし、マリキ・イラク政権に反対するISISの中核を構成する者はバクダディとその一味だけではない。旧イラク軍人、元バース党党員、元フセイン政権関係者も復讐の炎を燃やし共闘に参加して今日まで活動している。
これらの人々の多くは南アラブ族に属し、イスラームとは異なる次元での連帯意識の中にある。このため「イスラーム国」への参加は別次元の問題となり、それゆえ「イスラーム国」には分裂する可能性が潜むばかりかマリキ政権の軍事的制裁を受けることになる。現時点でのISISの軍事能力は、マリキ政府軍の本格的な攻撃に耐え得るものではない。それはイスラーム強硬派ばかりではなく多くの南アラブ族の犠牲を生み出すものとなる。
「イスラーム国」を名乗ってシーア派に対する復讐戦に参加した南アラブ族である彼らの動機は、アメリカやマリキ政権に対する恨みである。またマリキ・シーア派政権の政策に対する不満である。イスラームとは異なる次元での反発は、アラブ世界の部族的連帯意識の世界に紛争が拡大する恐れを持つ。ISISの分裂、ISISへの攻撃は同時に南アラブ族への攻撃となり、多大な犠牲を強いることになる。
それをアブダッラー・サウジアラビア国王は無視することはできない。南アラブ族の支持を背景にサウド家でのパワーバランスを維持している国王にとって、南アラブ族への攻撃は無視できない現実である。ケリー米国務長官と会談した国王はISISへの攻撃に高い関心を示したという報道はこの事実を示している。「イスラーム国」の出現は冗談としても、それを解決する方法の過程で部族世界での連帯意識の危機感が問われることになれば、中東は分裂の危機に今以上に近づくことになる。
(あつみ・けんじ)