集団的自衛権論争の空疎さ

大藏 雄之助評論家 大藏 雄之助

問題は中国の覇権主義

全世界に向け日本の広報を

 与党の集団的自衛権発動の、いわゆる「新3要件」に関する協議で、座長の高村自民党副総裁が私案として提示した「国民の権利が根底から覆されるおそれがある場合」という文言に対して、公明党が「おそれでは拡大解釈されかねない」と難色を示したために、「おそれ」を「明白な危険」と修正して、政府が閣議決定した。これは神学論争の領域であって、現実にはまったく意味がない。「明白な危険」が迫っていると判断するのは政府であるから、「おそれ」を書き改めたのが歯止めになるとは思えない。かつて教育基本法を改正する際に、「愛国心」という表現は戦前の軍国主義時代を思い出させるという反対で「国を愛する心」としたのと同工異曲だ。

 集団的自衛権を否定しようという側はもっとひどい。一部でもこれを認めれば戦争に巻き込まれる「おそれ」があると主張し、テレビ朝日の『報道ステーション』は「そうなれば徴兵制も想定しなければならない」という。もはや真面目に議論する余地はない。朝日の解説者は空想的な「おそれ」が無限に広がることを描いて見せたというのはうがちすぎであろうか。

 朝日新聞は「近隣諸国の反対」をよりどころにしているものの、その範囲はどこまでなのか。中国と韓国と北朝鮮の3カ国以外のアジア諸国は全部大筋で日本の動向を支持している。その中国と韓国でさえも、庶民レベルでは日本はなかなかの人気であると伝えられる。

 そもそも安倍首相が安全保障の強化に乗り出したのは中国の習近平政権の目に余る覇権主義にある。自衛隊の戦闘機が中国の戦闘機に異常接近したとか、ベトナムの漁船が中国の警備艇に衝突して自沈したなどと称するビデオはとても信用できないが、中国の発表したものだけから捏造(ねつぞう)を立証することは難しい。

 しかし、中国が明らかに事実と異なる発言をしていることがある。5月末にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議の場で中国の王冠中副総参謀長が西沙(パラセル)諸島と南沙(スプラトリー)諸島について、「過去2000年以上わが国の管轄下にあった」と述べたのは、強弁もはなはだしい。

 これらは島というよりは無人の岩礁であるが、1937(昭和12)年に日本が発見して新南群島と命名し、当時植民地だった台湾の南端高雄市の行政権下に置いた。その後、第2次大戦終結まで、日本軍は中国大陸の沿岸部をすべて占領していたから、中国が管轄できたはずはない。尖閣諸島と同様に、有史以来中国の領土であったとか主張するのなら一理屈あるかもしれないが、日本の新南群島領有宣言に中華民国政府が異議を申し立てたとは聞いたことがない。今この海域は石油資源があるらしく新たな魅力を生じているようだが、前大戦中は日本の軍用機の不時着地点として役立った。

 中国は日本の南鳥島を「岩礁を補強しているだけ」と非難しながら、西沙では岩礁の間を埋め立てて滑走路に仕立てて領土拡張するという身勝手な行動をしている。

 現在日本はこの地域の権益を要求する立場にはないが、ここが理不尽な国家の領土領海になれば、わが国のシーレーンにとって重大な脅威となるのだから、このような根拠のない大言壮語に対しては直ちに真実を質(ただ)すべきである。日本はこれまで多くの事柄について一々とがめだてをするのは大人げないと考えたのか、ほとんど言挙げせず、最低限相手国に抗議するにとどめた。私はそうしたときには、同時に英語その他の国際的な言語で全世界に公表すべきだと唱えてきたが、やっと最近になってNHKの電波を使って国の広報活動を強化することになった。

 海外放送で最も信頼されているのはイギリスのBBCである。特に戦乱になれば実に多くの国の人々がこの周波数にあわせる。BBCはNHKと同様に受信料で運営されているけれども、国際放送は一般国民に直接負担させるべきではないとの配慮から、原則として外務省の予算で賄われている。ここには1948年ごろ、『1984年』を書いたジョージ・オーウェルがいたが、国際放送部門はどんなに外国で評価されても国内では知られることがなく、出世にもつながらないので、なかなか人材が得られない。これはNHKでも言えることであろう。

 西ドイツはナチス時代の反省から当初全国放送組織を設けなかったこともあって、ドイッチェヴェレという海外放送専門局を国家予算で設立した。私は日本も海外放送関係をNHKから分離して単独の国際放送会社とするほうが国策に沿うと思う。

 先に引いた王冠中副総参謀長は、アメリカのヘーゲル国防長官の中国批判は安倍首相の演説の遠回しの言い方よりも率直で好ましいと言明したとのことだ。それなら今後はっきりと名指しで中国の非を指摘するのがよいが、日本放送協会にそれを求めるのは困難であろう。

(おおくら・ゆうのすけ)