アナウンス効果を百も承知で総選挙の報道合戦を演じた左右両紙
新聞も“与野党対決”
「立憲共産党」の大敗北。今回の総選挙結果を一言で言えば、こうなるのではないか。共産党と共闘した立憲民主党は惨敗し、有権者から政権交代の受け皿としてノーを突き付けられた。共産党も議席を減らした。野党でも非共産の維新の会は大躍進し、国民民主党も議席を増やした。共産党と組む限り政権交代はあり得ない。それが今選挙の教訓。そんな感想を抱くのは、筆者一人だけだろうか。
選挙では新聞の“与野党対決”も見ものだった。各紙の「情勢分析」(10月21~23日付)では、「自民減 単独過半数の攻防」(読売)、「自民 議席減の公算大」(毎日)などと岸田文雄内閣にとって厳しい予測を出し、「自民危うし・立憲強し」が大勢のよう思われた。それでなくても新内閣にご祝儀相場がなく、自民内に衝撃が走った。
ところが、これに水を差したのが朝日だ。26日付の中盤情報で、「自民 過半数確保の勢い/立憲ほぼ横ばい」とし、立憲の枝野幸男代表や菅直人元首相も競り合っていると報じ、逆に立憲内に危機意識が広がった。共同通信も「自公 絶対安定多数視野/立憲伸び悩む」(毎日27日付)と、「自民強し・立憲危うし」の構図を報じた。これで与党内に幾分か楽観論が出たようだ。
これに対して終盤になって読売は「自民単独過半数は微妙/立民増」(29日付)、産経は「自民、接戦区で苦戦/立民堅調」(30日付)と、再び「自民危うし・立憲強し」と巻き返し、甘利明幹事長が地元選挙区に張り付く事態となった(結果は僅差で敗北)。
選挙は「勝つ」とか「楽勝」などと言われると、気が緩み負けることがしばしばある。それをアナウンス効果と言われるが、左右両紙ともそれを百も承知で報道合戦を演じたように思えてならない。
選挙結果は朝日の分析が最も近かったが、立憲の14議席減は「横ばい」とした朝日にとっても想定外だったに違いない。情報報道で予測を外した保守紙は結果オーライ、肉を切らして骨を断つ心境と推察したい。
有権者の審判に難癖
とまれ「自公VS野党共闘」(朝日30日)に決着がつき、「安倍・菅・岸田政権に審判」(毎日30日付)が下された。有権者はこの4年間を「諒(りょう)」(もっともだとして了解)したのだ。ところが、毎日1日付は、「有権者の不安なお」(中田卓二政治部長)と難癖をつけ、おまけに「安倍・菅政治と決別必要」(社説・同)と有権者の審判と真逆のことを主張している。
朝日も「絶対安定多数は維持したものの、新政権へのご祝儀相場とまでいかなかった」(坂尻信義東京本社編集局長)と、選挙制度にない「相場」を勝手につくり出している。確かに内閣誕生時の支持率にはご祝儀相場なるものがあるが、選挙でそんな話は聞いたことがない。朝日流のいちゃもんにすぎない。
その上、坂尻氏は、やれ森友学園だ、選択的夫婦別氏だ、LGBT(性的少数者)理解増進法案だ、核兵器禁止条約だ、などと好き放題のことを岸田内閣に求めている。タイトルは「『聞く力』忖度やめてこそ」とある。自民党内の意見を聞かず、朝日の主張を聞けと言いたいらしい。独りよがりもいいところだ。公約の実現について聞くのが筋というものだ。
大阪では“政権交代”
それにしても不思議なのは、左派紙が立憲・共産の野党共闘がなぜ国民から拒否されたのか、まったく分析していないことだ。大阪に限って言えば今回、「政権交代」があった。維新が19選挙区のうち15を制し、前回10議席の自民はゼロだった。立民も共産もゼロだ。残り4議席は維新が公明に配慮し擁立しなかった選挙区で、擁立していれば完全制覇となっただろう。
政権交代可能な「健全野党」はどうあるべきか。かつて小選挙区制が導入された際、盛んに論じられたが、今ではすっかり忘れ去られている。いや共産党にしがみつく左派紙が忘れさせているのである。
(増 記代司)