独裁維持へやまぬ人権弾圧 文革の「過ち」封印
【北京時事】7月に創立100年を迎える中国共産党は独裁維持のため国内の異論を抑圧し続けてきた。「建国の父」毛沢東が発動し多くの国民の命を奪った文化大革命(文革、1966~76年)は党として人権弾圧を認めた数少ない例だが、習近平指導部はその過ちさえ封印しようとしている。
さらに、少数民族や民主化を求める学者や弁護士ら「少数派」に対する弾圧は一貫して正当化。新疆ウイグル自治区や香港への締め付けは今、欧米など民主主義陣営との大きな対立要因となっている。
文革後復権した鄧小平が中心になってまとめた「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」(81年6月採択)は、文革を「建国以来最も深刻な挫折と損失を国家国民にもたらした」と総括。死者1000万人以上との推計もある内乱を否定し、毛の「重大な誤り」を認定した。
しかし、今年2月に発行された「中国共産党略史」は、文革中の国連復帰やニクソン米大統領訪中など「曲折の中での発展」を強調。文革も「党が自らの力で過ちを正す能力を持っていることを証明した」と評した。2001年発行の「略史」が、「毛の過ち」を詳述していたのとは様変わりだ。
習氏は、文革の悲劇を教訓に導入された国家主席の任期制限を撤廃。個人崇拝の禁止規定も有名無実化している。習氏の父親で文革中迫害を受けた習仲勲元副首相はかつて「異論保護法」の制定を訴えたが、皮肉にも習体制への異論が直ちに罪に問われる環境が整いつつある。
一方、民主化を求める学生らを武力で弾圧した天安門事件(89年)について、共産党は「反革命動乱を平定し、社会主義政権と人民の根本的な利益を守った」とする見解を変えていない。08年に学者や作家ら303人が一党独裁を批判し、事件の再評価などを求めた「08憲章」を公表した際も、当時の胡錦濤指導部は厳罰で対処。懲役11年の判決を受けた起草者の民主派作家、劉暁波氏は10年に獄中でノーベル平和賞を受賞したが、出国を認められないまま17年に死去した。習体制になっても15年に人権派弁護士ら300人以上が一斉拘束されるなど知識人への弾圧はやまない。
国民の9割超を占める漢民族が関心を示さない少数民族への締め付けは、ますます先鋭化している。トルコ系のウイグル族が多く暮らす新疆ウイグル自治区では09年の大規模暴動後、テロ対策名目で統制を強化。18年には国連で、ウイグル族ら推計100万人以上が強制収容施設に送り込まれていることが報告された。中国側は「寄宿制の職業技能教育訓練センター」の存在を認めたものの、国連の調査団受け入れを拒否したままだ。
チベット自治区や内モンゴル自治区などでも、「中国化」を掛け声に、宗教や言語への規制強化が続く。習氏は「生存権、発展権が主要な基本的人権だ」と主張するが、「飢え死にしないようにするから黙っていろ」という「中国式人権」は世界に通用しない。