タイを二分する政争に終止符を
タイの政情混乱が長期化の様相を見せている。22日には首都バンコクに非常事態宣言が適用された。
王室の影響力が低下
反タクシン元首相派の反政府デモ隊は、インラック首相の辞任や総選挙の延期を要求し、主要交差点を占拠したり政府機関を閉鎖させたりする「バンコク封鎖」を続けている。こうした中、デモ隊を狙った爆弾事件が相次いで発生するなど暴力行為がエスカレートしている。
デモの発端は、タクシン派与党のタイ貢献党が、国外に逃れているタクシン元首相の帰国に道を開く恩赦法案を成立させようとしたことだ。議員数をバックにした強硬姿勢が、反タクシン派の反発を招いた。
だが、デモ隊の要求も筋が通っていない。デモ隊を率いるステープ元副首相の提案は、さまざまな職種の代表300人と専門家100人からなる「人民議会」に国権を委ね、既成の立法府、行政府のシステムを作り変えるというものだ。しかし、これは法的根拠が乏しく議会制民主国家の自己否定につながりかねない。
弱者救済政策を推進してきたタイ貢献党は、人口の多い農村や貧困層などで圧倒的な支持を獲得、2006年のクーデター後の総選挙でも過半数の議席を確保し第1党を維持してきた。ステープ元副首相の提案は、選挙では到底、勝ち目がないと読んだ上でのものだろう。だが、タイを法治国家では許されないルール無き政争の坩堝(るつぼ)にしてはならない。
タイがこれまで誇ってきたのは、その政治的安定度の高さだ。それゆえ、多くの外資が進出し「東南アジア諸国連合(ASEAN)の優等生」と言われるほどの繁栄を築いた経緯がある。その政治の安定を支えてきたのは、政治家と軍人、国王という国家を支える3本の柱が相互に牽制(けんせい)し合う構造だ。
しかし近年、こうした構造が崩壊し始めている。タクシン政権以降、国内がタクシン支持派の赤シャツ軍団と反タクシン派の黄シャツ軍団によって二分されるなど、政治的安定度が極端に下がってきた。とりわけ王室の影響力低下が懸念される。
1992年にデモ隊と治安部隊が衝突し、多くの死傷者が出た「5月騒乱」でプミポン国王は、その英明さを証明してみせたものだ。国王は「このままでは国家そのものが滅びる。廃墟のガレキの中で勝利の旗を振って何の意味がある」とたしなめると同時に「デモ参加者は家に帰り、軍も兵舎に帰れ」と厳命し、混乱を見事に収めた。
今回の政情混乱も、政治の安定を保ってきた構造がほころびを見せている証左だ。だが、与野党が相互に足を引っ張り合うことで国家そのものが疲弊したバングラデシュのような状況を避けるには、政治制度だけでなく軍や王室の在り方をも総合的に見直す必要がある。
地盤沈下しかねない
デモ隊はインラック政権にレッドカードを突きつけているが、このままではタイ社会そのものがイエローカードを提示されかねない。政争に終止符を打てなければ、地盤沈下が始まることになる。
(1月24日付社説)