見えぬトランプ氏の真実

アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

加瀬 みき政策・思想ない実業家?
家族や側近による影響懸念

 ドナルド・トランプ共和党候補が米大統領に選出されたが、同氏は選挙戦中具体的な政策をほとんど提示せず、周囲には政治や政策経験者がほとんどおらず、それだけにトランプ氏が何を考えているのか、そして主要ポストにいかなる人々を任命するかは大きな関心と同時に不安を招いている。

 政治には誇張は付き物であろうが、本選挙ほど何が真実で何がそうでないのかが分かりにくい選挙もなかった。いずれの支持者も自分たちの聞きたいことだけがこだまする好みのメディアを信じ、それ以外は敵のプロパガンダとみなした。トランプ氏は感情を即刻、短文で爆発させるツイッターを最大限活用させ、支持者たちは巧みな言い回しや鋭い攻撃に活気づいた。伝統的メディアからは事実誤認や意図的な誤りが繰り返し指摘されたが、言葉と事実は疎遠になっていった。

 トランプ氏は、ロシアのプーチン大統領といかにも親しいような発言を繰り返し、同氏を立派な指導者と褒めちぎったが、クリントン氏との3回目の討論会で、同氏に「プーチンはトランプ氏がプーチンの操り人形だから応援するのだろう」と言われ、「操り人形じゃない」を繰り返し、「会ったこともない」ことが分かった。

 多くの支持者を得た最大のきっかけとなった「メキシコとの国境沿いの塀」に関しては、何度も「美しい塀を設ける」と述べていたにもかかわらず、選挙後初のテレビインタビューでそのほとんどは「柵(さく)」かもしれないことが分かった。不法移民狩りをし、全てを国外追放すると繰り返し述べてきたが、同インタビューではそれが犯罪歴のある不法移民に変わった。しかし犯罪歴のある不法移民は少なく、すでに2000万の不法移民が国外退去させられているという事実はまるで知らぬ様子である。

 主要ポストの任命が始まり、中でも一番注目を浴びているのが戦略担当大統領顧問に任命されたスティーブン・バノン氏である。バノン氏はハーバード・ビジネス・スクール卒業、海軍に入隊、その後ゴールドマン・サックスに務め、さらに特定顧客を対象とした投資銀行を設立。その後ブレイバート・ニュースに加わり数年後、社長に就任。

 バノン氏が社長になってからブレイバート・ニュースは排他主義、女性差別、人種差別、そして白人至上主義を掲げるようになった。超保守主義である同ニュースは、中絶をホロコーストと比較したり、保守派コメンテーターであるビル・クリストル氏を共和党をダメにする背教者と中傷したり、女は男のためのインターネットを破壊している、などと述べている。

 トランプ氏がムスリムの入国を一切禁じると繰り返してきたのは有名だが、「アメリカは一部のモスクを閉鎖するしか選択の道がない」と述べた数日後、同ニュースに出演した。そこでバノン氏に「本当は情報提供者組織を築き、敵がアメリカを破壊しないようにするという意味だったのか」と聞かれ、「そうだ、その通り」と発言している。その後もムスリム入国に反対しており、考え方が変わったわけではないが、それを批判されれば、「敵がアメリカを破壊しない」ための手段を取る、と述べたと弁解できるようになった。これはバノン氏がトランプ氏を自分の思想の代弁者としてうまく利用している例とされている。

 国家安全保障担当補佐官にはマイケル・フリン元将軍が指名されたが、同氏は国防情報局長官の職をオバマ大統領に解任されている。事実を捻じ曲げることで有名だったとの報道もあり、指導者としての質を問われた。一方アフガニスタンやイラクでの米軍諜報部署での活躍は有名で、共に戦った英陸軍の特殊空挺部隊(SAS)の将校たちからは深い尊敬を得ている。同氏の著書には、プーチン大統領の中東や欧州での野心的行動を阻止しなくてはならない、と書かれているが、高額でロシアでの講演を引き受けたり、ロシアの諜報機関に招かれたりしている。過激派イスラムとの戦いを何よりも最優先させ、イスラム教に批判的、シャリア法が米国内に広まっているといった誤った発言もしている。

 法務長官にはジェフ・セッションズ議員が指名されたが、同氏は1980年代に過激な黒人差別発言で共和党大統領、共和党議会であったにもかかわらず、連邦判事任命を議会に拒絶された。科学技術専門家などを含めた合法的な移民受け入れにも反対し、白人至上主義、温暖化に懐疑的であることでも知られる。トランプ氏の深い信頼を受けるようになったが、同氏が法務長官になれば、移民や人権など非常に広い範囲で絶対的な権限を有すことになる。

 トランプ氏が何を信じているのか。全てを取引に置き換えるビジネスマンのトランプ氏はこれまでは取引で成功することが政策であり戦略であった。それには口八丁、誇張、法に触れるぎりぎりまで法の穴を利用することも成功のための手段であった。しかし、大統領となればそうはいかない。事実にそぐわない軽々しい発言は政策や思想がないことの裏返しでもあろう。その人物の周囲を強い信念の持ち主たちが固めた。家族と信頼する少数の人々が新大統領にどのような影響を与えるかが懸念されている。

(かせ・みき)