米で「原爆神話」めぐる議論が続く
オバマ大統領の広島訪問 日米で概ね評価の一方
オバマ米大統領が先月27日、現職米大統領として初めて、広島を訪問した。1945年8月の原爆投下以来、71年ぶりだ。日本では被爆者の9割からもオバマ大統領の広島訪問は歓迎と評価を受け、米国でも評価する見方が多い。ただ米国では、いまだに原爆投下を正当化してきた原爆神話をめぐる議論が続いている。(ワシントン・久保田秀明)
歴史学者など 被害者の視点を重視
議会・マスコミ 「100万米兵の命救う」
原爆神話というのは、第2次世界大戦中に米陸軍長官を務めたヘンリー・スティムソン氏が、1947年2月に原爆投下に対する批判を抑えるために、「原爆投下により、戦争の早期終結が実現し、100万人の米兵の生命が救われた」とした発言だ。それ以来、米国ではこれが原爆使用を正当化する定説となった。スティムソン氏は、マンハッタン計画を監督し、原爆投下決定を検討した暫定委員会の委員長としても、原爆投下に重要な役割を果たしている。
この原爆神話をめぐる議論は、戦後史の日米関係の節目に表面化してきた。今回のオバマ大統領の広島訪問、原爆資料館訪問、原爆慰霊碑での演説は、米国でもかなり大きく報じられたが、引用されたコメントには原爆神話の内容を繰り返したものが少なくない。米国では原爆神話がまだ国民の間に生きているのだ。
前回、原爆神話が米国で大きな議論を引き起こしたのは、原爆投下50周年に当たる1995年だった。当時、ワシントンのスミソニアン博物館の一つである国立航空宇宙博物館が核時代の幕開けになった原爆投下に焦点を当てた大規模な展示を企画した。
企画は2年前から準備され、原爆投下に使用された米軍機「エノラ・ゲイ」とともに広島の原爆資料館から展示品を借り受け、原爆被害の現実に焦点を当てる計画だった。原爆の被災地の視点も本格的に取り入れた総合的企画で、原爆神話を米歴史家の視点から問い直す内容になっていた。
ところが、原爆被害に焦点を当てることに会員300万人を擁する退役軍人団体が猛反対し、原爆神話を固持する米議会やマスコミの世論に押されて、展示企画は5回にわたり書き直しを余儀なくされた。この過程で、連邦下院議員24人が「展示計画は日本を侵略者でなく、罪のない犠牲者として描こうとしており不適切」と非難する書簡を同博物館に送付した。企画は完全に骨抜きにされ、結局は展示そのものが中止される結果になる。詳しい説明なしで、「エノラ・ゲイ」の機体だけの展示で終わってしまった。この議論がもとで、マーティン・ハーウィット同博物館長は辞任に追いやられた。
展示企画の諮問委員でもあったスタンフォード大学のバートン・バーンスタイン氏はじめ米国の歴史学者の間では、展示の最初の企画書は高く評価され、概ね支持されていた。展示が政治的圧力で圧殺されそうになった1994年10月、米歴史協会はこれが学問の自由に対する挑戦であるとする声明を出した。さらに同年11月には80人の研究者、知識人が政治的圧力に屈して展示企画を骨抜きにしたことを批判する書簡をスミソニアン協会に送った。バーンスタイン氏ら歴史学者は、米軍の日本本土上陸作戦が実行される場合の推定死傷者数について、ホワイトハウスでの最高作戦会議出席者の日記などを基に、死傷者は6万3000人を超えることはないとしたマーシャル将軍などの意見を引用し、原爆神話に真っ向から反駁している。
オバマ大統領は今回、広島の原爆資料館で原爆のもたらした被害の実態に触れた。平和記念公園では原爆慰霊碑に献花し、演説では被爆地を訪れる意義について、「戦争による罪のない犠牲者」に思いをはせることにあると指摘した。オバマ大統領は、就任間もない2009年のプラハ演説で始まった「核なき世界」に向けたアピールを広島で完結させ、未来につなげるというレガシーを意識していたことは間違いない。オバマ大統領の演説の内容と視点は、原爆の被害者の立場も重視する1995年当時の航空宇宙博物館の学芸員の視点に相通じるものがある。
オバマ演説に関して、米国のマスコミ報道の多くは、原爆神話を支持する立場で言及した。「オバマ氏は広島、長崎の何十万もの市民の死傷者について謝罪しないし、すべきでもない。原爆投下は恐ろしいものだったとはいえ、米国が日本本土侵攻を実行していたら確実に失われただろう何百万もの民間人、兵士の命を救った」(USAツデー)といった内容だ。オバマ大統領の広島訪問は戦後史を画する出来事だったが、原爆をめぐる議論はまだ決着していない。






