ボリビア・モラレス大統領辞任
長期政権崩壊で混沌
南米ボリビアの反米左派エボ・モラレス大統領が今月10日、不正選挙疑惑の抗議デモが高まる中で辞任を発表し、メキシコに亡命した。盤石と思われたモラレス氏の長期政権が崩壊、その後のボリビアの状況は混沌(こんとん)としており、政情不安な国を多く抱える南米全体への影響も懸念されている。(サンパウロ・綾村 悟)
南米各国に波及の可能性
モラレス氏は、「21世紀型社会主義の実現」を夢見た故ウゴ・チャベス元ベネズエラ大統領の盟友として知られ、南米を代表する反米左派政治家の一人だ。
モラレス氏は、貧農が多いコカ栽培農家の出身。農民運動の代表として反政府活動を主導、2005年の大統領選挙では、当時南米を席巻していた左傾化の波に乗り、ボリビア初の先住民系大統領として当選した。
当選後は、左派系国粋主義とも言える政治姿勢を徹底、天然ガス関連の施設などを強制的に外国資本から接収して国際的な問題となった。しかし、ボリビア国内に多くの天然ガス資産を持っていたブラジルの左派系ルラ大統領が譲歩し、資源の国有化に成功した。
その後の資源ブームは、貧困層や農民支援の政策を経済的に後押しし、リチウム鉱山の資源化も含めてモラレス氏の国内支持は揺るぎないものとなってきた。
2009年の大統領選挙では問題なく再選を果たしたが、2014年の選挙では、国民投票で3選を禁じる憲法規定を変更、長期政権化を実現させた。
長期政権化が進む一方、モラレス政権に懸念を抱く有権者が増えていたのも事実だ。反政府的と見なされた人々が投獄されるなど強権的な一面が見えていたこともあり、4選出馬の可否を問う国民投票は否決された。
先月20日の大統領選挙では、中道右派カルロス・メサ元大統領との決選投票入りが有力視されたが、選管が選挙速報の中継を中断、翌日にはモラレス氏の4選がいきなり発表された。これに米州機構(OAS)の選挙監視団が監査を申し入れた。
その後、モラレス氏の辞任を求める抗議デモが激しくなる中、警察や軍部までが反旗を翻し、同氏は辞任を余儀なくされた。
モラレス氏は、強固な政権を築いてきたかのように見えたが、軍部と警察が反旗を翻すほど、長期政権の弊害が進んでいたことが、不正選挙疑惑からも見て取れる。
南米では、国の最高権力者でもある大統領の任期を憲法規定で1期限定としている国が多い。その背景には、1960年代から70年代にかけて南米各国で軍事独裁政権が続き、深刻な人権侵害が多く発生したため、民政化後に大統領の任期を1期とする憲法を導入した経緯がある。大統領の任期を短期間に抑えることで、独裁化と腐敗を生み出す温床を排除しようとしたわけだ。
各国での政界腐敗は依然として続いたものの、民主選挙制度が導入された後の南米各国では、おおむね極端な独裁政治は避けられてきた。
ここに登場したのが、南米きっての反米左派首脳として知られたベネズエラのチャベス大統領だった。チャベス氏も憲法改正を通じて長期政権を実現したが、意に沿わない報道を行うテレビ局を強制的に閉鎖、自身の支持層には潤沢な社会保障を提供するなど、政権内では明らかな腐敗が進んでいた。
チャベス氏の後継となったマドゥロ政権も同じく強権的な政治を続けた。だが、放漫財政のツケは天文学的なインフレとなって同国を襲い、反対派との衝突による政情不安も手伝って、数百万人規模の難民を生み出した。ベネズエラもボリビア同様に崩壊寸前で、マドゥロ政権は軍部の支持抜きでは継続不可能だとされる。
ボリビアでは現在、モラレス氏の復権を求める反政府デモが過激化して治安部隊と衝突、多数の死傷者が出ている。モラレス氏は、辞任劇を「クーデター」だと批判するが、暫定政権側は「民主政治を取り戻しただけだ」と、主張が対立している。
ボリビアの軍部離反による辞任劇と、それに続く政治衝突は、同じく政情不安に陥っているベネズエラだけでなく、南米各国に大きな影響を与えかねない。