地上の“地獄”で43年間、北送船主導した朝総連は解体を

脱北者の自由往来

モドゥモイジャ代表 川崎栄子さんに聞く

 北朝鮮には、拉致された日本人の帰還問題が有名だが、実はそのほかにも、日本人に関わる問題が存在している。それが在日の夫と共に北朝鮮に行った日本人妻の問題、在日、日本人妻などを巻き込んだ朝鮮総連主導による北朝鮮帰還運動(北送船問題)である。1959年から始まった北送船では、84年までに、在日韓国・朝鮮人9万3440人が北朝鮮に渡った。この人々は、一部の脱北者のほか、帰国することもままならない。日本人妻の帰還などに取り組むモドゥモイジャ代表の川崎栄子さんに聞いた。
(聞き手=羽田幸男)

労働力確保目的の帰国事業

北朝鮮に行ったのはいつごろか。

川崎栄子さん

 かわさき・えいこ 1930年後半、在日朝鮮人二世として生まれる。高校を卒業後、朝鮮総連傘下の在日本朝鮮青年同盟に誘われて加入し、北朝鮮に帰国。北朝鮮では、朝鮮中部の炭鉱都市に配置され、無煙炭運搬用のトラック運転手として働く。2003年、日本から「帰国」した人々と日本人家族の実情を世界に知らせるために脱北を敢行。14年にNGOモドゥモイジャを結成。モドゥモイジャのホームページ http://koreaofall.com/

 私は1960年に日本の新潟港から北送船に乗り、北朝鮮の清津に行きました。その時は17歳で、朝鮮総連の言う通り「地上の楽園に行く」という希望にあふれていましたが、港に到着して、それがすぐに嘘だということが分かりました。

 港には数千人の人々が歓迎のために迎えに来ましたが、全体的に暗く、そして、貧しい感じがしました。これはおかしいと思いましたが、そのときはもう遅かったのです。

 以来、私は地上の地獄のような環境の中で43年間を過ごしました。そのあたりの事は、自分の体験からと、同じ立場の人から見聞きしたことを小説という形で、『日本から「北」に帰った人の物語』(韓錫圭名義、新幹社刊)で、紹介しています。

 これを読んでいただければ、日本人や在日で北朝鮮に帰った人々がどのような生活をしてきたのか、ご理解いただけると思います。地獄のような環境で、自由がない生活、差別され、食べることさえ困難なことが分かると思います。

脱北をしてから、日本に帰って来たが。

 多くの脱北者は、韓国へ亡命し、そこで生活をするようになります。日本では、まだその受け入れ態勢が整っていないので、帰国しても、生活をするのが大変なのです。そこまで、政府が支援してくれる環境がないので、自分たちでゼロから始めなければならない。そんなところになかなか帰ることができません。

 私の場合は、自分で日本に帰ろうと思って帰って来ました。北送船の問題の根になっている在日の組織、朝鮮総連の罪状を明らかにし、その謝罪を勝ち取らなければ、北朝鮮で虐げられ犠牲になった人々が浮かばれないし、また現在でも生きている人々を救済し、その人権を守らなければならない、このまま忘れ去られることは許されないという思いがあったからです。

 その上、現在でも、朝鮮総連が北朝鮮の核開発など、さまざまな面で、その隠れ蓑になっていると私はみています。だからこそ、その罪を正すことが必要なのです。

帰国してからは。

 政府が支援するずっと以前から、国際社会に北朝鮮の人権問題を訴えてきたし、生活支援をやってきました。日本政府から連絡が来ると、私は成田まで迎えに行く。政府は民間団体に任せて終わり。

 私は脱北者が生活できるようにするために生活保護の申請やその他の斡旋をし、家を借りるための手続きなども代わってしました。また、日本で生活するためには日本語を話せるような教室など一切合切、身元保証人にもなり就職先を探したり、自立するための手助けをしました。

 主に東京にいる脱北者が対象で、若い人には社会復帰させるための活動、定住するための手助け、就職させ、夜間中学などに通えるようにしています。ただ私一人で民間団体としてやってきたので、経済基盤がないのが現状です。会員としては、約50人ぐらいで、日本人、在日、脱北者がその会員です。

NGO組織のモドゥモイジャについて。

 一人では限界があるので、2014年にNGOのモドゥモイジャを創設しました。モドゥモイジャというのは、「みんな集まろう」という意味です。国連に訴えるためには、運動体として独立していなければならない。それで組織を立ち上げました。

 法的にもしっかりとしなければならないと思い、日弁連にも、「人権救済申立書」を提出しました。同じ脱北者と共に、朝鮮総連をはじめ、日本政府、北朝鮮の赤十字など六つの機関に対して、申し立てをして、北朝鮮の帰国事業の悲惨さ、それによって被害を受けた人々に謝罪することを国際機関に認めさせることが目的です。

 私はそのために、日本全国のどこでも、呼ばれれば行って講演しています。今年に入って、北朝鮮の金正恩をオランダのハーグの国際裁判所に訴えるための準備をしています。北朝鮮を動かすには、国際世論によって動かさなければ、本当の効果が期待できません。そのために、どこにも依存することができない。本気でやるためには、命懸けでやらないといけない。私は国内外に訴えるために、朝鮮総連や朝鮮大学の前で、毎月1回、抗議活動をしていました。北朝鮮を変えるためには、まず朝鮮総連を無くさなければならない。

今後の展望をどのようにしていくのか。?

 帰国船という朝鮮総連の行った事業は、人権侵害そのものです。一番のカギは、朝鮮総連です。帰国事業は、労働をさせるための人材を得るためでした。それを正さないといけない。少なくとも、北朝鮮に帰還した在日同胞、日本人妻が自由に往来できるようにしなければならない。北朝鮮に帰国船で帰った在日は特に悲惨な生活が待っていたのです。私は、北朝鮮に家族ではなく、一人で行ったことはよかったと思いました。家族で行っていたなら、家族全員が犠牲になっていたでしょう。

 そのために、私は家族が北朝鮮に来ないように、サインを送り続けた。そのまま書くと、届かないので、何気ない文章の中に、家族がこちらの状況が分かるように、あの手この手でサインを送り続けました。

 そのおかげで、日本にいた私の家族は北朝鮮に帰国することを中止しました。後に、母の親族からそのことを教えられました。  私は脱北して生きていて父に会えたことが感謝でした。父は90歳でしたが、私が会って4日後に亡くなりました。父が亡くなってから、しばらく短い期間でしたが、母と一緒に生活し、いろいろ話すことができて親孝行をすることができたのも幸運だったように思っています。