勇将だった検事・尹錫悅の敵は自分自身
国民の中に入る政治家へ
自身の誤りに対する態度は概して二通りに分かれる。誤りを正すのと正さないこと。詳しくみると、後者も二つに分かれる。知らずに正せない場合と知っていても正さない場合だ。どちらの方を選択するかによって事の成否が分かれる。
文在寅(ムンジェイン)大統領は誤りを知っていても直さなかったケースだ。彼は、「李明博(イミョンバク)・朴槿恵(パククネ)大統領の最も大きい誤りの一つが国民を敵味方に分けたことだった」と非難しながら、政権に就くやいなや国民を最初から二つに切り割いてしまった。「間違ったことは間違っていたと申し上げる」という就任の辞の誓いとは違って、自分の誤りには目をつむり、他人の誤りを暴くのに忙しかった。
大統領選挙への出馬を宣言した尹錫悅(ユンソンニョル)前検察総長(検事総長)が前・現職大統領の前轍(ぜんてつ)を踏まなかったのは大きな幸いだ。彼は自身が任命したスポークスマンに欠陥が明らかになるとわずか10日で更迭した。世論は誤りをいちはやく正す勇気を高く評価した。
“検事・尹錫悅”はしばしば勇将にたとえられる。勇将の姿はこれまで権力に堂々と対抗した過程で十分に示した。しかし、馬上で天下を得ても、馬上で天下を治めることはできない。馬から降りて国民の中に入ってこそ“政治家・尹錫悅”に成長することができる。
その時必要な資質が智将と徳将の品性だ。尹錫悅は今まで国政を運営する智将の能力を国民に見せたことがない。青年たちの怒りを笑いに変え、反則と不義を公正と正義にするビジョンと戦略を提示できていない。
政治家の国政遂行能力は人材を抜擢(ばってき)する技術を見れば分かる。中国春秋時代の覇者、斉の桓公は人材がいつでも訪ねて来られるように執務室の庭に夜通したいまつを灯(とも)した。尹錫悅の庭はまだ、ぼんやりした闇でいっぱいだ。すでに特定人脈が彼を取り囲んで“イエスマン”が周辺に並んでいるという声が聞こえてくる。
今後、尹錫悅の路程には多くの障害が現れるだろう。義母の実刑宣告でリスクが大きくなったことは事実だが、こうした外部からの衝撃は思ったほど大きくないだろう。外部の危険がいくら脅威であっても内部の危険より破壊的ではあり得ない。
権力の没落は権力者自身からまず始まる。だから生涯他人の誤りだけを見てきた検事・尹錫悅の目はこれからは自分に向かわなければならない。尹錫悅の敵は文在寅政権ではない。他ならぬ尹錫悅自身である。検事・尹錫悅が死んでこそ、政治家・尹錫悅が生きる。
(裵然國(ペヨングク)論説委員、7月6日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
尹氏の内政外交政策を聞きたい
政党人でもなく、議会人でもない人物が大統領候補として注目を集め、人気だけが先行している。その危うさを的確に指摘した論説だ。
韓国では大統領が代わるたびに政権だけでなく、社会も大きく変えられてきた。前政権の政策というより、政権そのものを否定し、新たに国を作り直す勢いでものごとが書き換えられていく。それに伴い、人事も一斉に入れ替わる。
したがって、官僚は現政権の維持を最も願う。政権交代すれば、人事で大きな不利益を受け、場合によっては「旧悪」が暴かれたり、文政権のように「積弊」が清算される過程で、職を失うどころか、訴追されることもあるから、ある意味命懸けだ。その過酷さは李朝時代と変わらない。
政治に翻弄(ほんろう)されたのが、尹錫悦氏だ。朴槿恵前大統領を弾劾・罷免に追い込んだ国政介入事件を捜査した人物で、文政権誕生の“一等功臣”である。彼を抜擢(ばってき)した文大統領は「われらの検事総長様」と持ち上げた。
ところがその仕事熱心さは文氏側近の不正追及にまで及んだから、政権は法相を先頭に総がかりで総長降ろしを行った。結果、虎を野に放つことになる。ところが虎が走る方向や何に噛(か)みつくかが予測できない。それにそもそも虎が何をしたいのかに具体性がない。政権に噛みついたという実績だけが人気を呼んでいるのだ。だから虎の勢いが尹氏の欠点になり得ると裵論説委員は危惧する。
文政権を代えたい、社会を変えたいという思いは韓国民の一定数に及ぶ。文政権のアンチならば、学生運動出身者による頭でっかちの「運動圏政治」や「従北親中」「反日離米」の外交路線が軌道修正される可能性が高いが、前述したように尹氏の政策はいまだ見えてこない。周辺にイエスマンだけが集まっているなら、心配の種だけが育つ。
(岩崎 哲)