秋法相の“暴走” いつまで見守るのか
文大統領は早急に決断下せ
秋美愛法務部長官(法相)は「検察改革」と「民主的統制」という言葉をしばしば使う。彼女は検察改革を名分として現政権と近い検事たちを要職に配置し、“時の権力”を捜査する検事たちを左遷した。検察の組織的反発が起これば、「民主的統制が必要な既得権集団」というフレームを検察に被せた。
秋長官の法治・民主主義無視の姿勢はあたかもブレーキが壊れたベンツを見るようだ。捜査指揮権・監察権の乱用でも足りず“意図的な恥さらし”によって尹錫悅検察総長を追い出そうと躍起になっている。野党の「狂人戦略を駆使している」との批判も意に介さない。与党内でも「統制不可」という話が出るほどだ。
国会予算決算特別委の鄭成湖委員長(共に民主党)は野党議員の質問をずっと遮って発言する秋長官に対し、「程々にして下さい」と制止して親文勢力から執拗な攻撃を受けた。鄭委員長は「円滑な議事進行のために一言だけ物申したら、一日中疲れ果てた。常識と合理が通じる世の中にならなければならない」と嘆いた。
それでも秋長官は、「国会で長官(閣僚)を侮辱するのは変えなければならない」と対抗した。国会と国民をあまりにも軽視している。座視できないのは捜査への介入問題だ。月城原発1号機に関する捜査に対して秋長官は「尹総長が政治的野望を表してから、捜査が電光石火のように進んでいる」とし、「政治的目的の過剰、偏向捜査だ」と批判した。捜査チームは急遽(きゅうきょ)「原発政策の正当性ではなく、不正な執行過程の捜査」だと反論文を出さなければならなかった。
法務長官がこのように捜査のガイドラインを示すのは司法妨害行為だ。先進国では重罰となる行為を平気で行っている。
真の検察改革は検察の政治的中立と独立を保障することだ。時の権力を捜査できなかったり、これを回避する検察は存在意味がない。秋長官の改革方式を批判する検察内部ネットに300人を超える検事たちが実名コメントをしたのが何を物語っているか。
与野党を合わせて大統領候補1位に現職の検察総長が挙がったのは、秋長官の“尹総長叩(たた)き”が逆効果となった結果ではないか。
与党で秋長官を制止できないのは問題だ。丁世均総理は「不必要な論議が続くなら総理としての役割を拒まない」としたが、「秋長官が礼儀正しく冷静になってくれればいいのだが」と忠告するだけで終わった。
この乱脈の状況を整理する力を持つのは文在寅大統領だけだ。秋長官が国政運営に負担をかけているが、文大統領からは特別な言葉がない。秋長官だけが検察改革を仕上げられると信じるのか。代案がないためなのか。明らかなのは秋長官に対する国民の疲労度が大きくなっているという点だ。文大統領は早く決断を下さなければならない。
(蔡禧昌(チェ・ヒチャン)首席論説委員、11月19日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
誤り認めることは負け
韓国は長い官僚政治の弊害(これこそ積弊だが)で、争いにおいて誤りを認めることは即負けを意味し、負ければ死を意味していた。だから身を守るためには地位を死守しなければならず、そのためには無謬(むびゅう)でなければならなかった。
この“伝統”は今も色濃く生きており、特に政界では「落ちたらただの人」になるだけならまだいい方で、地位を失えば裁判にかけられ罪を着せられる。だから必死に白を黒と言いくるめても守り抜こうとする。
秋美愛法相が与党内からの諫言にも耳を貸さず、検察総長を目の敵にして叩(たた)き潰(つぶ)そうとしているのは、この戦いに負ければ、今度は秋法相が追及される側に回ってしまうからだ。息子の兵役優遇疑惑が口を開けて待っており、その先の政治キャリアが閉ざされてしまう。
このなりふり構わない秋法相の検察叩きは、尹錫悦総長もともに「先を狙っている」ライバルの一人とも擬せられていることによる。韓国関係者によれば、両者とも「とてもその器ではない」し、政治センスのなさはこれまでの戦いを見ても明らか。
尹総長ももともとは朴槿恵政権を追及した「一等功臣」だが、彼は単に法に正直・忠実であろうとしているだけで、現与党の政治的対決陣営にいるわけではない。秋法相も与党も、敵にする必要のなかった人物を強敵に育て上げてしまった面がある。
この政界の混乱を調整する責任は「文在寅大統領にある」と蔡首席論説委員は言うがその通りだ。だが尹総長の肩を持つことはできない。かといって秋法相に軍配を上げれば、文大統領の「公正」さが問われる。頭を抱えるところだ。この不毛な諍いを見る国民には「疲れ」が見えると蔡氏は指摘する。疲れよりも呆(あき)れの方が強いだろう。
(岩崎 哲)