暗中模索のブレグジット
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
厳しい現実が明らかに
離脱後の英国の姿を描けず
テリーザ・メイ英首相は年初の演説で「ブレグジットとはブレグジット」と欧州連合(EU)からの完全離脱を宣言した。しかし2019年3月の交渉期限が迫る中、英国が求めるブレグジットが何であり、またEU側がどこまで何を受け入れるかは闇の中である。
英国とEUの交渉開始条件の違いに加え、そもそも英国民の中でブレグジットが何を意味するかの見解が大きく違っていたこと、そして与党内、政府閣僚内、議会内で見解が分かれていることも交渉を進めるのを困難にしている。
昨年の国民投票で、英国がEU離脱を選択するとはほぼ誰も予想していなかった。残留という選択を国民から得るために国民投票を実施した首相ら残留派も残留派以上に結果に驚愕(きょうがく)した離脱派もEUから離脱するとは何を意味するかきちんとした解釈や見通しを示さなかった。離脱派は多くは現実と懸け離れた夢のような離脱後の在り方を掲げた。その結果多くの国民が勝手なブレグジット像を描いた。
離脱が決まってからまず明らかになったのはブレグジットとは単一市場および関税同盟からの離脱を伴うのか、離脱するなら両方なのか、一方なのか、あるいは何らかの形でいずれにもとどまるのか、離脱の本当の意味が明白にされていなかったことである。メイ首相が勇ましく完全離脱を宣言したものの、離脱を正式に表明して初めて良いところ取りはできない、という厳しい現実がはっきりした。
EU離脱とは主権を取り戻すこと、という大きな看板が掲げられ、移民や労働者の入国を制限できる、欧州司法裁判所(ECJ)の支配を免れ英国の法律が優先される、アメリカなどと独自に自由貿易協定を結べる、EU財政に貢献しなくてよくなる、などといった利点が掲げられた。これを実現するには完全離脱、つまり単一市場からも関税同盟からも離脱する必要がある。
しかし、EUからの人の流入を英国が管理するには人や資本、サービス、物の移動の自由を保障する単一市場からの離脱が必要となる。しかし、EUからの労働者に頼っている農業や製造業から建築、医療はたちまち人手不足になり、英国と他のEU国の間を自由に移動している食料から部品まで、より高額に、そして移動手続きに時間がかかることになる。シティーの金融業務にも支障をきたす。単一市場の一員に与えられている金融業務の「パスポート」が失効すればシティーで継続できない業務が出てくる。関税同盟離脱後もこれまでと同じ条件でEUと貿易を行う選択肢は狭く、ECJの管理下から完全に逃れるのも困難である。
EUの財政に貢献する必要はなくなる、そこで浮いた予算は例えば国民健康保険制度の改善に回せると離脱派は訴えたが、実は英国が貢献していた予算の一部はスコットランドなど貧しい地区への補助金、研究所や大学の研究予算やなどといった形で英国に再投資されている。
離脱姿勢をさらに混迷させているのは政府与党である。EU加盟は長年保守党を分断させてきたが、ブレグジットが決まってからも政府与党内で離脱に関する姿勢が完全離脱、一部離脱、何らかの形でいずれにも残ると大きく三つに分かれているばかりか、後者二つのグループの一部には、ブレグジットを反故(ほご)にしようという考えも根強い。
交渉期限が刻々と迫る中、思わぬ現実を目の当たりにし、期限までに離脱交渉が完成するのはまず不可能なのがはっきりし、交渉期限から実際の離脱まで経過期間を設ける方針が固まってきた。しかし、ブレグジットの形が固まらないのと同様、経過期間の長さや、その間の英国とEUとの関係――英国の金銭的貢献義務の範囲、人、モノ、資本、サービスの移動の在り方、優位となる法律――などは明らかでない。
一方、EUは交渉条件をはっきりと打ち出している。英国のEUに対する債務履行、北アイルランド国境問題、EU市民の権利保全やEU法の継続性確保であり、これらが解決しなければ、EUと英国の新貿易関係の交渉などは一切始められないとしている。ましてや英国と他国との自由貿易協定交渉は不可能となる。
そこで英国はEUの姿勢を崩すために北アイルランド国境問題を前面に出した。ブレグジット後、アイルランド共和国はEU、国境を共有するが英国の一部である北アイルランドはEU外となる。英国は国境問題を解決するには、両国間の人やモノ、サービスの移動、つまりEUと英国の貿易関係も並行して検討せざるを得ないという立場を取っている。両国の経済に悪影響を与えず人やモノの移動を管理するのは難しいばかりでなく、ここで貿易に関わる合意がなされれば、EU全体の対英国の交渉条件に大きく影響する。当然EU側が英国の姿勢を受け入れる様子はない。交渉をめぐる交渉が3度行われたが、いまだに本当の交渉は始まりそうにない。
「ぼんやりしている間に大英帝国が築かれていた」といわれることがあるが、夢うつつの間にブレグジットを決めてしまった感がある。離脱の利点ばかりでなく、伴う困難や制約、可能な選択肢をまずはきちんと整理し、現実を国民にはっきりと示し、その上で離脱後の英国の在り方を固めなくてはならない。
(かせ・みき)






