英国は80年代を再現できるか
女性首相選び保守党結束
労働党は左派党首再任で混乱
9月24日、イギリス労働党は、党大会でジェレミー・コービン党首の続投を発表した。これによって、労働党は波乱の時期を迎えることになった。
イギリスは6月23日の国民投票の結果、51・9%対48・1%の僅差で、欧州連合(EU)からの離脱を選択したが、その翌日にキャメロン首相が辞意を表明し、与党保守党の党首選挙=次期首相選考がスタートした。
一方、EU残留を求めていた労働党では、EU離脱の選択は残留キャンペーンに不熱心だったコービン党首に責任があるとして、党首辞任を求める声が高まった。6月27日までに影の内閣の22人以上が辞任、さらに、労働党下院議員は、172対40で党首不信任決議を可決した。
つまり、イギリスでは、EUからの離脱選択という国家的危機の中で、二大政党の党首選挙という国内政治の転機を迎えることになった。
保守党党首選では、当初最有力とみられたEU離脱派の旗頭、ボリス・ジョンソンが出馬を見送り、離脱派からはマイケル・ゴーブとアンドレア・レッドソム、ライアン・フォックスが立候補した。一方、EU残留派からは、2010年からキャメロン政権の内相を務め、実務能力に定評のある女性政治家テリーザ・メイとステファン・クラブが出馬した。
6月30日の立候補締め切り時点では、保守党党首は9月9日に決定の予定だった。この通りなら、レームダック状態のキャメロン政権が2カ月余り続いて、国内政治は停滞し、国際会議でイギリスが存在感を失った可能性がある。
しかし、イギリス政治の責任を担ってきた矜持を持つ保守党は、そのような道を採らなかった。まずは予定通り、保守党下院議員330人による投票を7月5日と7日の2回実施して、候補者はメイとレッドソムの女性2人に絞られた。第2回投票では、しかし、11日に、「英国の国益のため、早急に新首相を選ばなければならない。メイ氏なら大きな成功を収められる」として、レッドソムが党首選挙からの撤退を表明したため、メイの新党首就任が決まった。さらに13日、エリザベス女王がメイに首相の印綬を授けた。
こうして、保守党では、EU離脱の国民投票から、ほぼ2週間で後継体制の構築に成功した。つまり、延々2カ月にわたる党首選挙で、党内の分裂と闘争を天下に晒す代わりに、早期の新体制構築で人心を一新し、党内の、そしてイギリスの結束を示すことを保守党は選んだのである。
他方、労働党コービン党首は、下院労働党からの不信任の声にもかかわらず続投を宣言した。しかし、労働党の規約では、下院とEU議会の議員20%以上の要求があれば党首選挙が行われる。そこでこの基準の、51人以上の支持を集めて、7月11日にアンジェラ・イーグル、13日にオーウェン・スミスが党首選立候補を表明した。これで、党中央は党首選実施を決めたが、イーグルとスミスが候補者一本化で合意して、スミス対コービンの党首選となった。7月20日時点で、スミス支持は下院とEU議会の69%、172人であった。
労働党の党首選出方式は、15年から、単純な党員1人1票制となっている。今回は1月12日までに登録していた一般党員と、25ポンドを支払ったサポーター党員、労組など関連団体構成員の3種が有権者と決められた。つまり、下院議員は、党首選実施と候補者選定には主要な役割を果たすが、党首は有権者党員の投票だけで決まる。
9月24日の発表によると、得票数31万3209、得票率61・8%の現職党首コービンが、スミスを大きく引き離して再任を決めた。この労働党党首選挙は、下院議員と一般党員の意識の甚だしい乖離をさらけだす結果となった。
ところで、1979年2月、「英国病」に加えて第2次石油ショックと労働争議で危機に陥った英国を立て直したのは、イギリス史上初の女性首相、マーガレット・サッチャー率いる保守党政権であった。一方、労働党はトニー・ベン党首の下で極端な左派路線を採り、中道・右派が離脱して社民党を結成したため、83年総選挙で得票率27・6%、209議席にまで落ち込んだ。コービンが初当選したのは、まさにこの選挙である。労働党は、ブレアの「ニュー・レイバー」で再び政権に就くまで、荒野をさまようこと18年に及んだ。
EU離脱という英国の危機に際して、保守党は分裂の長期化ではなく結束を選択し、26年ぶりの女性党首、メイ首相を選出した。一方、野党労働党は、7割の議員が不信任を突き付けた左派の党首を、党員投票で再任させた。コービン党首の下で労働党が結束を保つことは難しい。労働党が再び荒野をさまようことになれば、メイ保守党政権は、落ちついて課題に取り組めるかもしれない。
「歴史は繰り返す」という。「英国病」を克服した80年代を、EU離脱決定のイギリスは再現できるだろうか。
(あさの・かずお)