コックス英議員殺害の余波
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
体を張った民主主義者
怒り生むレトリックの怖さ
ジョー・コックス英下院議員の殺害は英国ばかりか世界に衝撃を与えた。年齢や議員歴の短さをはるかに超えるインパクトを与えた議員の死は広まる排他主義や差別の醜さ、怒りを掻き立てる言葉遣いを戒める必要性、そして本来あるべき代表制民主主義の姿の素晴らしさを改めて示した。
コックス議員は41歳、2児の母、昨年初当選した労働党所属の女性議員であった。昨年の議員就任までは国際非政府組織オックスファム・インターナショナルで働き、政策責任者に抜擢され、アフガニスタンやシリアなど紛争の犠牲となる人々の支援に尽くした。議員になってからは難民救済のためのシリアへの軍事介入を訴えた。ブラウン元英首相夫妻やオバマ米大統領に人道支援に関するアドバイスもしたが、推薦で進んだケンブリッジ大学では、父は歯磨き工場を経営するという中産階級の家庭出身の彼女は、著名な親を持ち恵まれた家庭環境の学生が多いケンブリッジに溶け込めず苦しんだと書いている。
こうした幅広い経験、特に紛争地帯で苦しむ人々と生に接した体験とあふれるエネルギー、明るい前向きの性格で小柄で笑顔の新米議員は一目おかれる存在となっていた。
事件の翌日、街の広場での追悼集会にはあらゆる年齢、人種、宗教の人々がいた。だれに対してでも熱心に耳を傾け、まさに市民のために日々尽くしていたコックス議員への信頼と愛情が涙を流して死を悼む住民から伝わってきた。欧米で排他主義、反ムスリム感情が高まる中、コックス議員は国際協調、移民の受け入れと融合に力を入れ、欧州連合(EU)残留を熱心に説いていた。
容疑者であるメアは一人暮らしの白人男性。物静かで庭仕事を好み、近所の庭仕事を引き受けたりもしていた。「ブリタン・ファースト」と叫び、銃と刃物で議員を襲った。メア容疑者は、極右団体との関係があったらしいこと、銃の製造方法のマニュアルを求めたこと、また、精神的問題を抱えていた時期もあったことがわかっている。
EU脱退をめぐる国民投票の一週間前に容疑者が「ブリタン・ファースト」と叫んだことは、市民を代表する議員が真昼間に地元選挙区で殺害された事件にさらに大きな問いを投げかけた。
国民投票が近づくに従い、残留派と離脱派の戦いは激しさを増した。英国における政治論争は、通常アメリカに比べ事実や歴史に基づいた応酬は厳しくも、はるかに秩序があるが、EU国民投票をめぐっては行き過ぎた醜い攻撃もみられるようになっていた。
経済的影響をめぐる論争は残留派が有利であったが、もっとも感情的になりやすく、多くの矛盾も抱える移民問題は脱退派の攻撃材料であり、どうしても排他的姿勢や差別的傾向がある。トルコは長年EU加盟を望んで来たが、イスラム国であり、クリスチャン文化に基づくEUとは違和感があることが大きな妨げとなって加盟が実現していない。そのトルコが加盟すれば、何千万人ものトルコ人が英国に押し寄せると離脱派の一部が主張している。
EU加盟国市民は域内を自由に移動でき、企業は自国民と同じ条件でそうした人々を採用しなくてはならない。EUが拡大するに従い、貧しい旧東欧諸国からの移民が増えた。そのほとんどは福祉にただ乗りするのではなく、仕事に就き、税金も払っている。一部は英国人が就かない仕事を担い、さらには不足する医者や看護婦を補ってもいるが、ただでさえ歳費が不足する住宅や無料の医療制度、教育機関への負担を増してもいる。コックス議員殺害の日、EUからの「独立」を掲げる英国独立党は明らかに肌の色や人種の違う人々が列をなして英国に押し寄せる様子を描いたポスターを掲載した。あらゆる人々の融和に力を尽くしたコックス議員の殺害とこのポスターが重なったためか、時期を同じくして残留派が勢いを増した。
移民をめぐるレトリックや感情は、EU各国そしてアメリカでも危険なほどに高まっている。こうした雰囲気におとなしい住民であったメアが影響されたと断定するのは早急であるが、言葉が暴力を生む恐れは、アメリカ共和党のトランプ大統領候補の挑発的な言葉がきっかけとなってムスリムや移民への差別や暴力が増していることからも明らかである。
一方、死亡して広く知られるようになったコックス議員の実績は、多くの国の有権者が政治家を卑下し、政治への信用を無くしている中、日々選挙区を歩き、さまざまな有権者と接し、まさに代表制民主主義を実施する立派な公僕もいることを思い起こさせた。
キャメロン首相は、コックス議員の死を悼み、享受する平和、安定、そして一定の経済的繁栄はすべて寛容に支えられていると述べ、追悼のために臨時開催した議会では「我々には違いよりはるかに多くの共通点がある」というコックス議員の言葉が繰り返された。醜いレトリックがソーシャルメディアを通じ瞬時に世界中に伝わる時代、すべての人間には良いところがある、と信じ、人々に尽くしたコックス議員の死は、代表制民主主義のすばらしさと同時にそれがいかにもろいものであるか、それだけに見解が違う人々とも尊敬と寛容をもって接しなくてはならないことを改めて教えている。
(かせ・みき)





