ロンドンの反トランプ現象
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
市長選で移民2世当選
排他主義克服する希望の光
ロンドンの市長選挙でサディク・カーン労働党候補が130万票という英国史上最高の権力の付託と言われるほどの支持を得て当選。初のムスリム市長が誕生した。カーン氏はパキスタン移民2世、父はバス運転手、対する保守党候補はロスチャイルド家とも親戚関係の億万長者だった。カーン氏の選出はアメリカで共和党候補にほぼ確定しているドナルド・トランプ氏の排他主義、反ムスリム発言とまさに対極をなし、注目を浴びている。
英国ではムスリムがさまざまな分野で活躍している。ビジネス担当国務大臣のサジド・ジャヴィド、ロンドン・オリンピックの金メダリスト、モ・ファラやポップ・スターのザイン・マリックら各氏、ハジャブ(頭部を覆う布)を被ったバングラデシュからのウエィターの娘が素人料理番組で優勝もした。そしてロンドンは特殊な街でもある。人口の4分の1は移民、街にはあらゆる言語が溢れている。英国在住のムスリム260万人の5分の2が住んでおり、ハジャブを被った高校生が何の違和感もなく非ムスリムの学生と戯れ、種類が豊富な食料品屋やパソコンやスマホの修理店をムスリムが経営していることが多く、日常的に彼らと接する。
同時に英国は過激派ムスリムのテロの恐怖を経験し、今も生活の一部ともなっている。2005年7月、ロンドンの地下鉄とバスで起こったテロでは52人が犠牲となったが、犯人4人の内3人はパキスタン系移民2世だった。昨年11月にはパリ、今年3月にはブリュッセルと、ユーロスターで数時間の都市でイスラム過激派によるテロが起こり、英国人も犠牲になっている。「イスラム国」(IS)に向かった英国人は約800人と推計されるが、彼らが自国に戻りテロを起こす可能性は否めず、しばしば未然に防いだテロの件数が発表される。サッカー場からコンサートホールと多くの人が集まる場所は必ず爆弾捜査が行われ、議会の前には重装備の特殊警官が並んでいる。シリアやアフガニスタン、リビア他北アフリカ諸国から欧州に押し寄せる難民・移民問題は英国内でも大きな議論を呼んでいるが、その多くがムスリムである。しかし、カーン氏が移民2世であること、あるいはムスリムであることは、選挙戦にほとんど関係なかった。保守党のゴールドスミス候補が人種や宗教を問題とするような発言をしたが、効果はなかった。
一方、アメリカではムスリムに対する差別や反ムスリム感情が高まっている。バークレー大学の学生がアラビア語を話していたとして搭乗していた飛行機から降ろされ、茶色の肌のアイビーリーグのエコノミストは数式を書いていたことからテロリストと疑われ飛行機から降ろされた。パリでのテロ以来ムスリムに対する暴力事件は3倍に膨れている。ワシントンのスターバックスにいたムスリムの女性がトランプ氏の支持者に「ムスリムのごみ」、「テロリスト」などと罵声を浴びせられ、最後には液体をかけられた。トランプ氏の支持者が「ムスリムを殺せ」と叫んだり、イスラミックセンターの前でムスリムの命を狙うと脅迫したりしている。アメリカでもテロの恐怖は消えないが、トランプ氏の01年の同時多発テロ時ニュージャージー州でムスリムが祝っていたといった誤った主張や「ムスリムには大きな問題がある」、「モスクを監視し、中でなにをやっているか調べるべき」、「あらゆるムスリムの入国を完全に完璧に禁じる」といった挑発的な発言が、反ムスリム感情をあおっているのは間違いない。
トランプ氏はアメリカ市民の恐怖や怒りをとらえ、政治家やムスリム、日本や英国をはじめとした同盟国、中国やイラン、と国内外の「犯人」にその矛先を向けることで支持を得てきた。
一方、カーン氏は、ムスリムこそ過激派イスラムと戦うすべを一番心得ているので、テロ対策に貢献できるとムスリム社会と非ムスリム社会の協力を促し、ホロコースト記念式典に参列するなどムスリムとユダヤ教徒の関係の親密化を図っている。自らを「ロンドン市民であり、欧州人でもあり、英国人、イングリッシュでもあり、イスラム教を信じ、アジア系人種であり、パキスタンの伝統文化を受け継いでおり、父親であり、夫でもある」と述べ、多文化・多宗教主義、さまざまなアイデンティティーの共存を推奨している。
アメリカは人種のるつぼであり、誰でも精一杯努力すれば、受け入れられ、成功の可能性がある希望の国だった。そのアメリカに多くがあこがれ、アメリカ人となった移民がアメリカの成功に貢献してきた。しかし、トランプ氏のアメリカは暴力的な排他主義である。
それに対しロンドン市民はカーン氏の言葉によれば、「恐れではなく希望を、分断ではなく一致」を選択した。カーン氏のロンドン市長という一国の最も重要な政治ポストの一つへの選出は、アイデンティティーを求めるムスリムの模範となり、ムスリムを社会に統合する努力がなされていない国々の手本となると期待されている。カーン氏の明るい希望の光がトランプ氏のゆがんだ影を一層暗く見せている。
(かせ・みき)