どうなる与党立て直し、オーストリアで首相交代

 オーストリアで17日、与党社会民主党出身のオーストリア連邦鉄道クリスティアン・ケルン総裁が大統領府でフィッシャー大統領から新首相に任命された。そこで7年半政権に君臨してきたファイマン前首相の辞任背景とケルン新首相の課題などについてまとめてみた。(ウィーン・小川 敏)

難民問題で党内結束乱れる

連立政権続行など難問

 ファイマン首相は9日、「党内の全幅の信頼を得られなかった」として辞任を表明し、7年半続いた政権から降りた。前首相は「わが国は雇用問題、難民問題など多くの難問に直面している。それらに対応するためには党内から全面的信頼と支援が不可欠だが、それが得られなくなった以上、職務を継続できなくなった」と辞任理由を述べている。

クリスティアン・ケルン

17日、オーストリアの首都ウィーンで、就任式に臨むクリスティアン・ケルン新首相(EPA=時事)

 ファイマン首相の辞任は衝撃的ではあったが、予想外ではなかった。首相辞任要求は党内でこれまでも何度もささやかれてきたが、首相自身が辞任要求を強く拒否してきた経緯があった。そのため、9日の党幹部会であっさり辞任表明するとは、党幹部たちも予想していなかったという。

 ファイマン首相が辞任に追い込まれた直接の契機はやはり先月24日実施された大統領選で社民党が擁立した候補者の惨敗だ。ファイマン首相は今秋開催予定だった党大会まで党の立て直しに専心する意向だったが、党内の反ファイマン陣営を説得できなかった。

 ファイマン首相を決定的に窮地に陥れた主因はやはりその難民政策だ。昨年9万人以上の難民がオーストリアに殺到した。首相自身は当初、メルケル独首相と同様、難民歓迎政策を実施してきたが、難民収容が限界に直面し、国民の間で難民受け入れ反対の声が強まっていった。そこで国境監視の強化、難民受け入れの最上限設定など強硬政策に修正せざるを得なくなった。それに対し、社民党内左派や青年部党員から厳しい批判の声が出てきて、党内の結束が乱れていった。

 ファイマン首相にとってショックは1日のメーデー集会だった。演説中に辞任を要求する声が飛び出し、「ファイマンは辞めろ」と書かれたプラカードを掲げた大勢の党員の前で演説すら十分できなかったことだ。メーデー集会は本来、党の結束を内外に示す慣例の労働者集会だが、その集会で党首(首相)の辞任要求が飛び出した。ホイプル市長が党内の一体化を求めて調整役を演じたが、首相の辞任以外の選択肢がなくなっていった。

 ファイマン首相の任期中に実施された総選挙(2回)、大統領選、州選挙の計21回の選挙戦で19回、社民党は得票率を失っている。同党首の下で選挙は戦えない、といった声が党内でくすぶり続けてきた。

 社民党の期待を受けて登場したのがケルン氏だ。新首相は1966年、ウィーン生まれで今年50歳になったばかりだ。新首相は91年フラニツキー第3次政権下で連邦首相府次官に従事したが、97年には政界から実業界に入り、2010年7月には連邦鉄道総裁に任命された。政治経験が乏しいことが不安材料と受け取られている。

 社民党が経済界から党首を抜擢したのは今回が初めてではない。銀行トップマネージャーだったフランツ・フラニツキー氏を財務相に登用。その後、同氏は首相に抜擢され、11年間の長期政権(86~97年)を維持した。

 問題は山積している。まず、有権者離れが著しい社民党の立て直しだ。新首相としては難民対策だ。極右政党「自由党」との関係も大きな課題だ。同時に、政策が抜本的に異なる国民党との連立政権を今後も続けるか、早期総選挙に打って出るかなど難問が待っている。

 なお、ケルン新首相は19日、初の国会演説の中で雇用の拡大を目指し公共投資の増加、規制の緩和策などを含むニュー・ディール政策の実施を示唆し、低迷する国民経済の活性化に乗り出す姿勢を強調している。