ケルン事件で揺らぐ独首相
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
国境を閉ざす欧州各国
早急な対策必要な難民問題
ドイツはシリアやアフリカ、アフガニスタンなど紛争地帯からの難民を両手を広げ迎え入れてきたが、ニューイヤーズ・イブを境に、この姿勢が大きく変わった。前向きな受け入れ姿勢を貫いてきたメルケル首相への反発は強まり、地位がぐらついている。それに伴い、欧州連合(EU)の将来にもさらなる影が差している。
ニューイヤーズ・イブ、ドイツの第4番目の都市ケルンの駅周辺には恒例の花火をみながら新年を祝おうと多くの人が集まっていた。混雑の中、女性が男性に取り囲まれ、身体中を触れられたり、盗難に遭う事件が多発した。訴えがあっただけでもすでに700件近くになっている。
被害に遭った女性たちの証言によれば、例えば駅を出たとたんに大勢の男性に囲まれ、襲われた。振り払おうとしても何本もの手が伸び、背中や胸、足を触られたという。強姦のケースもあった。襲撃者の多くが、北アフリカやアラブ系の男性だった。当初、警察は警官配置不足などの落ち度もあり、騒動の規模を取り繕ったが、約1週間後には、被害届の件数から計画的に集まったと思われる男性の数が1500人余りだったこと、その殆どが亡命希望者や不法移民であったことを明らかにせざるをえなかった。同じような女性を狙った事件はハンブルグやストゥットガルト、デュッセルドルフ、ビーレフェルドなど多数の街でも起きていた。
ケルンに代表される女性襲撃事件は、ドイツ国民の移民に対する見方を大きく変えた。昨年春、シリアやアフガニスタンなどの戦闘地帯からの難民が大きな国際問題になると、ドイツが第2次世界大戦中に多くの難民を生んだ反省と人道的責任感から、メルケル首相は積極的に難民を受け入れる「歓迎政策」を打ち出した。
昨年1年間にドイツに到着した難民・移民の数は110万人、必ずしも正確に数えられないことから150万という数字もある。大小の都市で市民が温かく移民・難民を迎える姿が、世界中で報道された。しかし、ケルン事件後の世論調査では、「移民の数はすでに多すぎる」との回答は昨年11月に53%だったのが、62%に上がり、「ドイツはより多くの難民を受け入れられる」と回答したのは、わずか14%であった。
すでに昨年秋には、「歓迎政策」が生む摩擦と怒りがドイツ国内やEUでメルケル首相への信頼を脅かし始めていた。シリア、アフガニスタン、イラク、リビア、エチオピア、スーダン、エリトリアなどから押し寄せる難民や移民の数は増えるばかりである。冬の間は多少減少したものの、年始からの2週間ですでに3万人以上がギリシャに到着した。ぼろ船やゴムボートが転覆し溺れたり、病気や衰弱での死亡者は後をたたない。ギリシャのレスボス島など観光で知られる島々にたどり着いた移民は、そこから北へ、徒歩や列車でマケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアを経由し、ドイツをめざす。
何十万という人の波に耐えかねたハンガリーがまずセルビア、そしてクロアチアとスロベニアとの国境沿いに塀を建てた。国連やEUの批判をあびたオルバン首相は、移民・難民が怒涛の如くEUを襲うのはメルケル首相の難民歓迎政策のためだと、逆にメルケル首相を非難した。スロバキアやチェコ共和国、ポーランドは、自分たちはクリスチャン国であり、ムスリムは溶け込めないと、シリアからのクリスチャンのみを受け入れると発表した。
ドイツと同じく難民歓迎政策をとっていたスウェーデンには、昨年だけで15万以上が難民申請をした。人口比ではドイツより多い。あまりの数に対応できなくなり、社会問題も増えた同国は、とうとう受け入れ条件を厳しく制約すること、さらにはデンマークとの国境で入国審査を開始した。スウェーデンに向かう難民の波が自国に留まることをおそれたデンマークもドイツとの国境で審査を開始、オーストリア、フランス、ノルウェーなど他のシェンゲン協定(締結国域内では国境審査なしに移動を認める)国も同じく審査を再開した。
旧東欧諸国の多くがメルケル独首相の政策に反発するだけでなく、公に立ち向かい、裕福な旧西欧諸国間でも移民・難民が社会・経済問題となり受け入れを制約する動きが加速する中でおきた「ケルン事件」であった。ユーロ危機、その後長引くギリシャの経済危機、ウクライナをめぐるロシアとの対立などへの対応をはじめ、EU諸国はこれまでメルケル独首相を実質EUの指導者と認め、政策を受け入れてきた。
しかし、移民・難民問題では、メルケル首相はEUをまとめるどころか、問題の原因とみられるようにもなってしまった。ドイツ国内でも反移民を掲げる党や運動の勢いが増し、与党連合内でもメルケル首相批判の声が大きくなっている。
まずはドイツ国民、そしてEU諸国のメルケル首相への信頼回復の必要があるが、そのためには、受け入れ条件の厳格化、経済難民や犯罪者の国外追放、域外と接する国における審査や警備体制の確立などの政策を施行する必要がある。早急に対策を取らないと、移民・難民問題がEU内の亀裂を深め、メルケル首相の国内での地位は揺らぎ、指導者を失った統合欧州は分裂の恐れがある。
(かせ・みき)