統合に亀裂を生んだドイツ
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
ギリシャ問題巡る葛藤
批判招いたユーロ離脱提案
ドイツ連邦議会はメルケル首相とショイブレ財務相が求める第3回ギリシャ救済交渉を承認し、ギリシャは国家破産およびユーロ離脱を免れた。しかし、ギリシャが交渉の前提となる条件を認めるまでの過程でドイツはギリシャの憎しみを買い、他のユーロ加盟国からの批判を招き、一時的グレクジット(ギリシャのユーロ圏離脱)を提案することで統一通貨の永続性への疑問を生み、一方、この間にドイツ人の国民国家への想いがむくむくと復活している。
チプラス政権は緊縮財政反対、民営化などこれまでの経済支援条件反対を掲げ選出された。前政権は国際融資団の厳しい緊縮財政政策を受け入れ、ギリシャ経済は昨年末には回復の兆しを見せていたが、チプラス政権が誕生して以来経済は再び傾き、債務は膨れ、救済交渉が長引く間にギリシャの銀行は資金が底をつき、政府は資本管理を余儀なくされた。政権はそれにもかかわらず、選挙やその後の救済条件を巡る国民投票の結果を民主主義に根差した国民の意思とし、EU(欧州連合)とIMF(国際通貨基金)によるさらなる経済支援案を受け入れることを拒み続けた。EUは統一通貨の加盟国を追いだすことはできないと賭けに出て、経済疲弊が悪化するにもかかわらず、ユーロ圏の規制や国内政治情勢からドイツをはじめほとんどのユーロ加盟国が受け入れられない条件を頑(かたく)なに求めた。
ギリシャのチキンゲームは、EU最強経済国のドイツの首相として実質EUの指導者となったメルケル首相を追いこんだ。欧州統合は全ての周辺国に侵攻し、2度の大戦を起こしたドイツが、欧州や世界に受け入れられ、また他国の畏怖を買うことなく経済発展を遂げるに欠かせない枠組みである。メルケル首相はそのEUと統一通貨であるユーロを守るために必死の努力を続けてきた。
しかし、ギリシャ救済を巡る熾烈(しれつ)な交渉が続くうちに、ギリシャではメルケル首相はナチス、ヒットラーに例えられるようにまでなり、一方、ドイツ国民は自国ばかりが責められること、他国の借金の肩代わりをさせられることにうんざりし、ギリシャに対する姿勢は冷たくなっていった。
ギリシャに甘い顔をすることに反対したのは、何もドイツだけではない。スロバキアからフィンランド、ベルギーなど旧東欧諸国、西側の小国など多数がドイツと同じ立場をとった。しかし、欧州指導国となったドイツが厳しい政策の「顔」となった。ドイツと二人三脚で欧州統合を引っ張り、欧州の政策を導いてきたフランスの経済的弱体化により、一層EUの運営はドイツの肩にのしかかった。
それを表すかのように17時間続いた最終交渉の最後は加盟国全てではなく、フランスが見守る中、ドイツとギリシャ間で行われた。そしてギリシャを「屈服させた」のは、ショイブレ財務相が提案したギリシャの一時的ユーロ離脱であった。これまでも万が一ギリシャが離脱せざるを得ない場合のシナリオが描かれているとされてきたが、それが公に交渉の場で提案されたのは初めてであった。そもそも統一通貨誕生時に交わされた「救済は認めない」という約束を曲げてきた。ギリシャが要求していた債務削減はユーロ圏加盟国規則のはっきりとした違反となる。一時的ユーロ離脱提案は、ギリシャが条件を飲まなければ、EU規制の枠組みから外れギリシャが資金調達できる唯一の手段、そして恐らくは経済を立て直せる道でもあった。
そもそもドイツが統一通貨を導入することになったのは東西ドイツ統合と引き換えでもあった。ユーロは、統合すれば欧州最大の国土と人口を抱え、一層強くなることが見えていたドイツが再び欧州に脅威をもたらさないよう、しっかりと統合欧州の一部とするための重要な手段である。しかしドイツ国民にしてみれば、戦後ドイツの復興と繁栄の誇るべき象徴であったマルクを捨てさせられ、放蕩(ほうとう)国の負担ばかり負わされているのにもかかわらずユーロ危機以来非難ばかりされるという被害者意識は強い。
統一通貨の信用やEUの団結を守りたいドイツ政府は、どうにかギリシャに交渉開始条件を飲ませた。しかし渦巻く国内のEUへの疑念、さらには反EU感情は収まらない。ドイツ議会が救済交渉開始を認めてもメディアや国民の多くはギリシャのユーロ圏追放を求めている。一方、他国からは厳しい姿勢が非難され、ルクセンブルクの首相にドイツのあまりに厳しい姿勢はEUや世界におけるドイツの評判を落とすとまで言われた。
必死に欧州統合と統一通貨を守ろうとしたドイツだが、圧倒的に強くなったドイツの弱いものいじめというイメージはぬぐえない。ユーロ離脱を公の政策としたことでEU内に取り返しのつかない溝も生んだ。一方、ドイツ国民には統合欧州のもたらす恩恵より負担が大きく見えるようになり、押さえられてきた国民国家への想いを押さえるのが難しくなった。ドイツを政治的・経済的に再生させるためでもあった統合プロジェクトにドイツが大きなヒビをいれる結果となっている。
(かせ・みき)