公平さ欠くカシミール報道

拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ ギャルポ

直轄地化は地方の要請
安定と繁栄のための憲法修正

ペマ・ギャルポ

拓殖大学国際日本文化研究所教授
ペマ ギャルポ

 私は自分のライフワークとしてアジアを意識し、アジアを中心に見聞、研究をしてきた。私のアジアの概念は西はトルコ、東はかつて西側から極東と言われてきた台湾、日本までである。今回は約1週間、トルコの現地を見聞した。その詳細はいずれ書くとして取りあえず強く印象が残ったのは、間違いなくトルコはトルコなりに近代化、経済発展に取り組んでいることだ。

 ただ一方、言論の自由、特にメディアなど報道の自由が、日本に比べかなり政府によって規制されていることを痛感した。これはトルコに限らず、まだアジア全般で見られることでもある。もちろん中国の報道規制の厳しさは他の国とは比べ物にならない。私は改めて日本がいかに自由で民主国家であるか、その素晴らしさを再認識し、自分がこのような自由な国にいることの幸せをありがたく思った。

国民に価値観押し付け

 ただ、この日本においてはその自由が、ややもすれば当たり前になっているだけでなく、その自由を自ら破壊しているようにも感じた。例えば個人レベルでは自己中心的、身勝手な自由が膨張して、他人の幸せや権利を侵害しているようにも見える。メディアにおいても、ただ単に公正公平な立場から国民に真実を伝えるというより、自らが正義の執行者として善悪の判断を国民に押し付け、世論すなわち絶対的かつ一方的な価値觀を国民に押し付けているようにも感じる。

 これに対して幾つかの具体例を挙げると、日本は法治国家であり、法の支配を誇っているが、一方ではその法の番人である裁判官の判決に対しても報道の立場を超え、各局ならびに各紙は、自分たちの思惑通りでない判決に対しては批判交じりの報道を平気で行っている。法治国家は法を順守することにあり、悪法も法なりとし、現代社会の環境に合わない場合には、その法の改正および修正を法的手続きに基づいて行う方法と権利が許されている。従って判決が不服であれば上訴するというシステムも設けている。故に、もしその判決に納得できない場合には、法的な手順を踏んで正義を求めるべきである。

 さらに別の例としてインド政府によるジャム・カシミール地方に関する憲法370条と30条Aの無効もしくは削除に関する国会決議の報道も、残念ながら公平さ、公正さを欠いているように見えた。もちろん私自身、インドとの関わりも長く、インド人の友人関係も多いので多少贔屓(ひいき)している面もないとは言えない。パキスタンにはパキスタン側の言い分、また西側には西側の言い分があることも否定しない。

 ただ日本の報道は、日本の価値観および前記の国や特定の価値観に基づく報道のみを日本国民に伝えており、公平公正さに対する配慮が不足している。半世紀以上も憲法を改正できない日本人からみると、憲法を軽々しく修正するインドを理解できないのも分かる。ただインドは今までに7回の憲法改正、100以上の憲法修正を行っており、現在生きている人々の社会秩序と国家の安定および繁栄に適した、生きた法律を設定している。

 憲法370条および30条Aは、カシミールにおいて外交、防衛、金融以外は高度な自治を規定しているため、インド政府はこれらの項目以外に関しては干渉できないような状況が続いている。そのためこの地域はパキスタン側から潜伏するテロリストによるテロ活動が頻繁に行われ、社会が不安定化し、大きな開発や発展が妨害されてきた。刑法、民法などもインドの他の州のように適用できず、同地方の発展を妨げてきた。

経済発展と安保に寄与

 今、インドは承知の通り躍進的な経済発展と、社会改革が成し遂げられているが、その恩恵をこの地方は十分に受けていない。ラダック地方は2、3年前からインド中央政府に対し直轄地になることを嘆願してきた。そのため今回ジャム・カシミール地方が二つの直轄地にされたのは時代変革のニーズであり、同地域の経済発展と国家の安全保障に寄与するためでもある。このことを伝えていないのは、現象のみを伝え、原因を軽視していることに他ならない。