ポル・ポト政権崩壊40年 カンボジア、民主主義の危機

 カンボジアは昨年、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)による総選挙が行われてから25周年を迎えた。その四半世紀を経て、カンボジアの民主主義は危機を迎えている。(池永達夫)

フン・セン首相、開発独裁へ総仕上げ

 シハモニ国王は15日、政治活動が禁じられていた旧最大野党カンボジア救国党2人の政界復帰を認めた。昨年行われた総選挙を前に、救国党を解党に追い込んだフン・セン政権が行った法改正に基づく措置だ。

フン・セン首相

7日、プノンペンで開かれたポル・ポト政権崩壊から40年の記念式典で手を振るカンボジアのフン・セン首相(AFP時事)

 フン・セン政権が野党政治家救済措置に動いたのは、これまでの強権的政権運営を反省したからではなく、あくまで海外への弁明として行ったにすぎない。

 一昨年、最大野党が解党に追い込まれた際、118人の野党幹部が5年間の政治活動禁止処分となった経緯があるが、今回の法改正では、政治活動が禁止された個人でも、首相の要請を受けて国王が認めれば、活動を再開できるなどとされている。

 西欧諸国は、昨年の総選挙の結果が、与党の総議席独占という結果に終わったことに対し、選挙の正当性を疑い、批判を強めていた。

 欧州連合(EU)は昨年10月、関税優遇措置の停止を検討するとして牽制(けんせい)。同措置は、武器以外の全品目を数量制限なしに無関税でEUに輸出できるというものだ。

 カンボジア製品の輸出先の4割を占めるEUは、同国経済を支える最大市場だ。しかも、輸出製品の大半はEUの関税優遇措置を活用した縫製品であるため、同措置がストップすると、多くの雇用を抱える縫製産業に大きな影響を与えかねない。プノンペンを取材すると、巨大な縫製工場が林立している。中国資本が入ったものが多く、中国はカンボジアに適用されている関税優遇措置を利用して、第三国経由の輸出基地にしている現状もある。

 なお今年は、ポル・ポト政権が1979年1月7日に崩壊して40年目となる節目の年でもある。カンボジアでは70年代、ポル・ポト政権下で170万人以上もの国民が虐殺や強制労働で死亡した。ポル・ポト政権の支援国だった中国は当時、文化大革命を推進しており、その手法をまねてカンボジアに「キリングフィールド」を現出させた。当時は眼鏡を掛けているだけで、知識人と見なされ虐殺の対象となった暗黒時代だった。そうした歴史を、なおフン・セン政権が引きずっているところに、カンボジアの闇の深さがある。

 政権に対抗する力を持った野党の存在そのものを否定し、開発独裁の総仕上げに掛かろうとするフン・セン首相は今後10年、続投する姿勢を示しているが、長男のフン・マネット国軍参謀長代理を与党・カンボジア人民党の常任委員に選出するなど、権力委譲に向けた布石も打っている。

 また昨年9月、国家反逆罪で逮捕されたケム・ソカ救国党党首が保釈されたものの、その後も自宅軟禁の状態が続き、外部との接触も厳しく制限されたままだ。

 さて、四半世紀前にカンボジアが国際社会介入による平和構築を受け入れたのは、最大の支援国だったソ連の崩壊によるところが大きい。具体的には国家運営の実務を担う国家公務員の給料が満足に支払えなくなったからだ。

 その点からすると、米中グレートゲームの様相を見せ始めた世界情勢の中、中国経済が失速するとカンボジア最大の後ろ盾を失うことにもつながりかねない。

 折しもフン・セン首相は20日から3日間、北京を訪問した。隻眼のフン・セン首相ながら、その目をしっかり見開いて、中国の内情をしっかり見極めようとしただろうことは想像に難くない。