徐才厚大将の党籍剥奪事件

茅原 郁生拓殖大学名誉教授 茅原 郁生

軍も整風運動の標的に

戦争なく緊張緩み腐敗蔓延

 習近平指導部は発足以来、反腐敗闘争を進めてきたが、中国共産党執政の正当性が挑戦に晒(さら)されるとして、それを整風運動にまで発展させつつある。これまでも薄熙来政治局員はじめ中央委員級の汚職摘発(虎退治)があった(本欄3・16)。さらに習主席は就任以来、党幹部の浄化を進めるにあたって権力集中を急ぐとともに身内に活動の清廉さを求めるなど汚職腐敗と戦う態勢を整えており、反腐敗闘争の本気度を示している。

 中国共産党政治局会議は6月30日、中国軍最高指導機関である中央軍事委員会(中央軍委)の前副主席・徐才厚大将を収賄などの違法行為で党籍剥奪処分に決め、検察機関に送り刑事責任を問う決定をした(新華社通信7・1)。周知のように中国社会では汚職腐敗が蔓延(まんえん)し、軍隊でも軍上層部の腐敗が問題になっていたが、党中央政治局員にまで任じられた軍最高幹部の摘発事件は衝撃的であった。

 徐大将の汚職は、職務権限を利用して昇任人事で便宜を図り賄賂を受け取ったもので、昨春から内偵が続いていた。軍内では将軍のポスト売買が1件100万元(1700万円、讀賣新聞7・5)で常態化していると言われる中で、徐大将は人事部門の最高責任者として多額の収賄が罪状とされた。特に、軍事法廷に起訴された総後勤部副部長・谷俊山中将の例では4000万元(6億5000万円)が献上(多維新聞6・30)されたと伝えられる。

 他に公開されただけでも、谷中将の公金横領や巨額賄賂、王守業海軍副司令官と軍需産業との汚職事件などがあった。このような軍需産業や地方権力との癒着による権力と金銭の取り引きだけでなく、徐大将のように人事上のポスト売買の汚職もあり、このケースではさらに軍の各組織内でも関連事案が調べられており、拡大する可能性を秘めている。軍上層部に広がる腐敗は、人民解放軍がこれまで建国の功労者として得てきた信頼と威信を失墜させている。

 今回焦点となった徐大将に対する処断について、中国の6億人近いネット網では習主席の汚職退治を賞賛する書き込みが第1位を占めたほどである。習主席によって進められる軍隊に対する反腐敗闘争が社会的に高い評価を得たのは、軍内腐敗の癌(がん)が深刻化していることを示唆している。これまで戦争のない時代を経て軍部、特に高級軍人が緊張感も薄くなり、党軍の特権に胡座(あぐら)をかいて官僚主義に陥っていた実態を人民は見ていたことを窺(うかが)わせる。

 なお、高級幹部の腐敗を軍内はどう見ているのか。その反応を窺う資料として5月12日付の環球時報がある。同紙掲載の「甲午の恥辱を再演するなかれ」と題する崑論政策研究院の常務副院長(解放軍少将)執筆の論文は極めて興味深い。論文は表向き甲午戦争(日清戦争)での黄海海戦敗戦の反省であるが、その真意は「装備で劣らない北洋艦隊が惨めにも全滅された敗戦の原因は、戦争前の軍人の腐敗ぶりにあった」にある。

 そこでは王守業、谷俊山両中将の汚職事件を暗に示しながら「腐敗は戦闘力の第一の敵であり、反腐敗を軍隊管理の要に据え、厳しい処罰を加えるべき」と強調していた。そして「軍隊の腐敗現象はかつてない酷さにある」と軍内の現実を指摘しながら、「党軍の特別性」や「最近、軍内の反腐敗闘争は軍隊を混乱させる」などの軍内の言い訳を紹介して「反腐敗なくして、軍隊の精神文明は語れぬ」と甲午海戦の例を出して「解放軍は腐敗防止の先頭に立つべき」だと強調している。

 また、軍隊の秘密保全に対しても「秘密保全の名において汚職追及の手を緩めてはならず、透明性の欠如こそが腐敗の元凶」などと反論していた。いずれにしても軍内には党軍の特殊性や組織防衛、軍の秘密保全、軍の面子(メンツ)などに拘(こだわ)る抵抗勢力があり、軍内の反腐敗闘争に腰が引けている幹部がいることを暴いている。

 軍機関紙「解放軍報」を筆者は日常的に見ているが、若い兵士が厳しい訓練に汗を流す報道を見るにつけ、高級幹部の腐敗ぶりが軍隊の生命である「士気、団結、規律」に与える悪影響を考えざるを得ない。「人民の子弟兵」の信頼と威信が失墜するだけでなく、軍の士気の低下など形而上戦力が受ける打撃を解放軍はどのように克服するのか、軍の存続にかかわる深刻な問題となろう。

 ここで習主席が軍トップに就任直後に「呼べばすぐ来る、来ればすぐ戦え、戦えば必ず勝つ軍隊になれ」と解放軍に求めたことが想起される。そこには軍内に蔓延する官僚主義、形式主義、華美主義などで革命軍の伝統が失われ、幹部の使命感や清廉・高潔性の欠如に対する危機感があったのではないか。徐大将の処断は精強化と軍律厳正化が解放軍の喫緊の課題となっている証左であろう。

 習主席が進める反腐敗闘争は、共産党への信頼が揺らぎ執政の正当性が挑戦を受ける中で党内浄化を不可欠としているが、それは同時に既得権集団の抵抗との闘いになり、難題も多い。にもかかわらず習主席は執政基盤として依存する軍部にまで反腐敗のメスを入れてきたが、それだけ軍内腐敗が深刻化していると見るべきであろう。今後、軍内の抵抗を排して徹底できるか、解放軍の近代化・精強化と関連して軍高級幹部への反腐敗闘争の進展状況を注視していく必要がある。

(かやはら・いくお)