米露印引きつけ中国牽制するベトナム

新グレートゲーム・中国南進の海
中国南進の海(5)

500-1 ビーチリゾート地ニャチャンの南方60キロにあるベトナム最良の港湾の一つ、カムラン湾は真っ白い砂が目に眩しい。

 湾の入り口は1・2キロと狭いが、北側の細長いカムラン半島と南側のビン・ハイ半島に挟まれる格好の内部は広く、水深も12メートル以上と大型船寄港も可能だ。

 日露戦争では1905年4月にウラジオストクを目指して東航するバルチック艦隊が石炭補給を求めた地だ。大東亜戦争では日本海軍が使い、ベトナム戦争では米海軍基地として機能したが、終戦後はソ連海軍が活用した。そのロシア海軍も2002年に撤退。同湾は歴史の表舞台から立ち消えたかに見えた。

 だが、ここにきて空いたカムラン湾が脚光を浴びている。

 まず撤退したはずのロシアが、再度の利用を申し出た。さらに米国は昨年6月、パネッタ米国防長官(当時)をカムラン湾に送り込み、南シナ海で戦略的価値の高いカムラン湾へのアクセス拡大を提案した。

 ベトナムはこうした国々の申し出に、ナショナリズムを振りかざすようなことはしない。

 というのもカムラン湾の目の前に広がる南シナ海が、「南シナ海は核心的利益」と言いだした富強国家・中国の台頭で、きな臭くなっているからだ。

 むしろベトナムとすれば、中国を牽制できるカウンターパワーとして、これらの国々の関与を望んでいる。だから、米露艦船のカムラン湾寄港は基本的にウエルカムだ。

 何より中国はこれまでこれらの地域で、力の空白部が生じると武力侵略してきた経緯がある。

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ベトナム最良の港湾の一つ、カムラン湾。半島部分の中央が海軍基地

 73年に米軍のベトナムからの撤退が決まると、それまでベトナムが領有していた西沙諸島に侵攻し、実効支配したのも中国だし、92年に比スービックやクラーク基地から米軍が撤退すると、それまで比領有だった南沙諸島に侵攻し実効支配するようになったのも中国だった。

 だからベトナムは、力の空白を絶対、作ってはならない。それこそが富強国家・中国と陸続きで隣接しているベトナムのサバイバル戦だと確信している。

 それで、ベトナムは米露だけでなく、インドにも外交戦を展開している。

 ベトナムは南シナ海の油田開発にインドを巻き込むことに成功している。中国はすぐ反応し異議を申し入れたが、インドはどこ吹く風だ。中国がインド洋でやっていることと何が違うのかという反発が根底にはあるからだ。インドは2011年、海軍の揚陸艦をニャチャンに寄港させた。また、ベトナムがロシアから購入し、2014年にも引き渡される予定の潜水艦の乗組員訓練などもインドは検討中だ。

 なお108年前、バルチック艦隊が寄港した際、水や食料、石炭の補給を求めたが、英仏の圧力で追い出されている。日本がバルチック艦隊に勝利した遠因はベトナムが作っていた事実は示唆に富んでいる。

(池永達夫、写真も)