スリランカ の“アラブの港”に中国がくさび
新グレートゲーム・中国南進の海
中国南進の海(3)
インド洋の真珠と言われるスリランカでは、一昨年来、8%台の高度成長が続くほど経済が好調だ。
少数派タミル人による武装組織タミル・イーラム解放の虎(LTTE)との四半世紀に及んだ内戦が2009年に終結したことが、海外からの投資を呼び込むジャンプボードとなった。それまでテロを恐れ、夫婦が田舎からコロンボに出る際には、別々のルートで向かったものだ。残された子供を孤児にさせないための知恵だった。
だが現在、テロの心配がなくなったことで、国内旅行熱が高まっているだけでなく、海外からの旅行者も年々増加。昨年は海外観光客が念願の100万人を突破した。
わけてもスリランカ南部の塩田が美しいハンバントタの動きが激しい。
ハンバントタとは「イスラムの港」との意味だ。その名前通り、14世紀頃にやってきたアラブ商人たちによって開かれた港だ。イスラムの白い帽子をかぶった子供が店の番をし、点在するモスクから朝夕、礼拝呼び掛けのアザーンが流れる。磯の香りこそスリランカだが、仏教国家とは異色のアラブ世界が濃厚なのがハンバントタだ。
「砂漠の民」であるアラブ人は、実際には「海洋の民」でもあった。
ダウ船に見られる建造技術や航海技術にたけたアラブ人は、インド洋を介して中東と中国を航海で結ぶ「海のシルクロード」の主役を担い、その余禄としてイスラム教を広めていった経緯がある。世界最大のイスラム人口を擁するインドネシアや1億5000万人という第二のイスラム国家であるインドをはじめパキスタン、バングラデシュ、マレーシアなどインド洋沿岸地域に膨大なイスラム教徒がいるのは、「海のシルクロード」を担ったアラブ人の遺産だった。
その意味では14世紀に造られた白い灯台が美しいハンバントタは、インド洋に突き出した岬が作り出した町とも言える。
灯台の東側には延々と砂丘が広がり、風が強い時は、飛んでくる砂が顔にあたって痛い。
昔はこの風が、アラブ人を呼び込む力となった。今でもハンバントタの沖合を中東とマラッカ海峡を結ぶ大型石油タンカーが日に200隻、航行するシーレーン(海上交通路)の要衝でもある。
長年、ハンバントタのシンボルだった灯台も、近年は新しいものに取って代わろうとしている。
中国によって造られた新しい港湾がそれだ。20階建ての港湾局のビルが、ハンバントタのランドマークになろうとしているのだ。
少し前まで、ひなびた漁村にすぎなかったハンバントタは、深さ17メートルの岸壁を持つ近代的な港湾に変貌した。15億ドルの工費のうち85%を中国が負担。施工は二つの中国企業が担当した。スリランカ港湾局によると、工事は第4期まで継続して行われ、2018年の完成を目指す。2010年11月の第1期開港式で、ハンバントタが故郷であるラジャパクサ大統領は「貿易を活性化させ、経済の飛躍的成長につながる」と胸を張った。
だが時折、中国の貨物船が入港するぐらいで、あとは全くの閑古鳥だ。ハンバントタ市民の誰もが、「あれは失敗だった」と口にするが、中国の狙いは他のところにある可能性がある。
港湾には巨大な石油・天然ガス備蓄施設があることから、ラジャパクサ大統領が目論む船舶による物流センターとしての経済復興に失敗したとしても、中国人民解放軍の海軍基地として補給や整備用に使えればインド洋をにらむ要衝の地となるからだ。
(池永達夫、写真も)