イスラム過激派と同胞団 国家と社会の実現方法に違い
2015 世界はどう動く 識者に聞く(15)
アルアハラム政治戦略研究所研究員 モハメド・ファイエズ氏(上)

モハメド・ファイエズ・ファラハト 1992年カイロ大学政治経済科学学部学士号。97年アルアハラム政治戦略研究所研究員。01年、同大学同学部で、修士号取得。韓国の対米外交、フィリピンの民主主義の発展、アフガニスタンと東南アジアのテロなどテーマに論文・記事。
――「イスラム国」が残虐行為で世界を震撼(しんかん)させているが、イスラム国家についてはコーランに記述されているのか。
コーランにはイスラム国家についての記述が無い。
しかしイスラム過激派は皆、イスラム国家の樹立とイスラム社会の建設を望んでいる。彼らの間の違いは、イスラム国家とイスラム社会をどうつくるかの違いだ。またどちらを先に実現するかの違いだ。
例えば、ムスリム同胞団は、まずイスラム社会を確立すべきで、そうすれば自動的にイスラム国家ができると考えている。だから彼らの活動は、一般の人々にイスラム教徒になるようリクルートすることに集中する。
しかし他のイスラム過激派グループは、例えば、イスラム聖戦や、聖戦主義者は、イスラム社会形成は、イスラム国家建設にとって必要ではなく、イスラム国家を下からではなく上からつくるべきだと考えている。彼らは国家そのものを、暴力を使ってでも変えるべきだ、と主張している。
――ムスリム同胞団とイスラム国は同じ理想と考え方を持っているのではないか。イスラム国の将来をどう展望する。
イスラム国は、ムスリム同胞団から始まったイスラム運動の発展途上にある。
ムスリム同胞団は、当初、自分たちを平和的な運動として、イスラム社会の経済運動だと紹介した。彼らは政権の外からではなく内側に入って、議会の中で共に仕事をすることを受け入れた。だからとても平和的な運動だと思われた。
一方で、エジプトには、国家への暴力を信じ、社会や経済に反するイスラム聖戦や、聖戦グループがある。彼らは、多くの人々を殺害し、経済発展を阻害し、サダト大統領のような政治家を殺害するなどした。しかしその後、彼らは何も達成していないと気が付いた。社会も国家も何も変化しないことを発見した。
だから彼らは、考え方を変え始めた。それはルクソール事件後の1977年から始まった。暴力の使用を停止し、過激派グループは普通のグループになり、ムスリム同胞団と同じようになり始めた。
同様のことは、エジプトの外では、リビアで始まっていた。サウジアラビアの幾つかのイスラムグループでも同様のプロセスが始まった。実はアルカイダでも始まった。今日のアルカイダはビンラディン時代のアルカイダとは異なっている。
彼らは、国家を弱くすることはできたが、主要目的であるイスラム国家樹立はできなかった。パレスチナ問題に対しても何もできなかった。パレスチナ問題では対イスラエルでは何も成し遂げていない。中東ではもう、彼らの運動はイスラム教徒にとって全く魅力が無くなっている。
それと同様に、私は、イスラム国が衰退すると思う。ほとんどの人々は彼らの理想を知らない。ただ殺人をするだけで、彼らの国自体が不安定で、弱くなっている。
――ムスリム同胞団は政権を獲得したものの、イスラム化と身内びいきが国民の反発を買い、軍によって追放された。ムスリム同胞団をどう評価するか。
我々はムスリム同胞団とイスラム聖戦や聖戦グループなどに形の差異があると思っていたが、1月25日革命(ムバラク政権を倒した2011年エジプト革命)後の同胞団政治を経験して、我々は、彼らの間に実際の差異はないことを発見した。
ムスリム同胞団は、彼ら自身を平和運動をする人々と紹介してきたのだが、6月30日革命(2013年同胞団系のモルシ大統領就任1周年の反政府デモ)後、彼らは社会に対し暴力を使い始めた。
彼らは、民主主義を手段として受け入れるだけで、価値として受け入れていない。6月30日革命後より暴力的になったので、聖戦主義者たちとの差異はない。
(聞き手=カイロ・鈴木眞吉)