NW日本版で安倍政権の「中道左派への変質」を指摘した冷泉氏の卓見

◆衰退する日本の左派

 「年金受給は何歳からがいいか」「間違わない死後の相続」等々の見出しが並ぶ最近の週刊誌。もはや読者は中高年しかいない、という現状を自ら暴露しているような体裁である。その課題に直面しつつある年齢だとはいえ、頻繁に同じような企画が続くと食傷気味になる。

 そんな中で目を引いたのがニューズウィーク日本版(7月2日号)の「残念なリベラルの処方箋」だ。筆者は「在米作家・ジャーナリスト」の「冷泉彰彦」。グローバル経済による国際分業が進んで格差が拡大する中で、若年層の貧困、気候変動への危機感、等々で「若者を中心にした世界の左派の政治運動はネットでつながることによって大きな広がりを見せている」。

 それに比べて日本は違う。「左派勢力は衰退し、野党は政権交代の受け皿としての存在感を失ってしまっている。一体、その背景には何があるのだろうか」というのが冷泉の問題意識だ。

 日本でリベラルが衰退した理由は明らかだ。これは誰でも説明できる。民主党政権の「負の遺産」の記憶が消えないからである。彼らの統治能力不足、鳩山由紀夫、菅直人に見る主張の支離滅裂さ、野田佳彦による「社会保障と税の一体改革」の一貫性のなさ…、床屋政談でやり玉に挙がる定番だ。冷泉は、「こうした記憶が、日本のリベラル全体の信用を著しく傷つけている」と説く。

◆経済政策で「ねじれ」

 それに対して、現在の安倍自民党政権はどうか。「日本の左派はこうした(安倍政権の歴史問題や経済政策への)空疎な批判を叫ぶ一方、安倍政権自体が長期政権になるに従って『中道左派へと変質』していることに全く気付いていない」と冷泉は指摘する。

 これには目が覚める思いだ。一部では「極右」と呼ばれる安倍政権が「中道左派」「堂々たる大きな政府論の福祉政策政権」という視点はメディアや野党の政権批判の中からはなかなか見つけにくい。

 冷泉が指摘しているのは、保守とリベラルの政策の「ねじれ」である。「日本では『保守派がリベラルな経済政策』を取り、『左派が保守的な経済政策』を取るという『経済政策のねじれ』」があるということだ。

 例えば、アベノミクスは「国際常識から見れば極めてリベラルな経済政策」であり、左派は「中長期的な財政規律」や通貨防衛、公共投資の抑制など「国際常識としては財政再建派(財政タカ派)の経済政策」を取っている、といった具合だ。せいぜい「中道右派」ということはあるが、安倍政権の政策を「左派」の括りに入れる発想はなかった。

 この「ねじれ」はどこから来るのか。冷泉は「歴史的経緯」から説明する。「日本の左派は、明治のキリスト教博愛主義に始まって、大正から昭和にかけての社会主義運動も含めて、高学歴で、国際情勢にも通じた人々による『上からの改革』だった」というわけで、知識人がリベラルを担ってきた背景があった。

 さらに支持母体を見れば、官公労や基幹産業の労組、巨大組合団体に支えられた野党に比して、自民党は個人商店主や中小企業事業主、一次産業従事者を主な支持者としている。このことが経済政策にも反映してくる。

 また政党の体質にも反映されている。党内民主主義が保たれず、話し合いすらない政策決定を見せるのが野党で、侃々諤々(かんかんがくがく)のバトルをやりながら、いったん決まればまとまる自民党にこそ、文字通りのリベラル(自由)がある。

◆必要な「健全な野党」

 冷泉は、「保守派に支えられた安倍政権が必死に最善手を打ち続け、結果として中道実務派政権に変容したことが、現在の日本の政治風土を新たな次元に導いた」と言うが、まさに卓見である。

 最後に「安倍後継者」と「健全な野党」の必要性を指摘して締めくくった良稿である。(敬称略)

(岩崎 哲)