左派紙が麻生発言を批判し「暴言」呼ばわりするのは形を変えた家族潰し

◆問題は「少子」の方に

 麻生太郎副総理の歯に衣着せぬ発言がまた、袋だたきに遭っている。歯に衣着せぬといっても、よくよく聞けば、常識的な発言なのだが、左派紙は「暴言」のレッテルまで貼っている。またも言葉狩り。そんな図である。

 毎日5日付によれば、麻生氏は3日、福岡県芦屋町での国政報告会で、少子高齢化に対応して政府が掲げる「全世代型の社会保障体制」をめぐり、戦後、日本人の平均寿命が大きく延びたことに触れてこう言った。

 「いいことじゃないですか。素晴らしいことですよ。いかにも年寄りが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるけど間違ってますよ。子供を産まなかった方が問題なんだから」

 高齢者である麻生氏にとって社会保障費の増大を年寄りのせいだけのように言う世論に我慢がならない。2014年にも「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいるが、子供を産まない方が問題だ」と発言している。確かに少子高齢化と一言で言うけれど、高齢は進歩の証しで、問題は少子の方にある。だから麻生発言には一理も二理もある。

 昨秋、麻生氏はこうも言っている。「俺は78歳で病院の世話になったことはほとんどない。…『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」

 これには同感だとうなずく人も多かろう。02年に制定された健康増進法は生涯にわたって健康の増進に努めるのを国民の責務としている(第2条)。むろん、病弱な人もいる。それで麻生氏は同じ考えかと記者から問われ、「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と答えている。まるで模範回答だが、これも左派紙から暴言呼ばわりされた。

◆地方紙も批判を展開

 今回の発言は各紙5日付に載ったが、中でも毎日は社会面で大きく報じ、「『産まないほうが問題』 繰り返される政治家の『短絡』 女性の自己決定権ないがしろ」と、「短絡」と決め付けている。

 社説では6日付に朝日が「政権の姿勢が問われる」、東京が「責任転嫁も甚だしい」と麻生発言を批判した。これが引き金になったかのように地方紙では7日付に愛媛新聞と琉球新報、8日付に西日本新聞、9日付に信濃毎日新聞と京都新聞が社説を掲げた。中央の左派紙が火を付け、地方紙が燎原(りょうげん)の役割を担う。わが国の左派メディアの典型的なキャンペーン展開だ。

 いずれの論調も金太郎あめのように似たり寄ったりだが、後出しの方が過激になるようで、愛媛は「麻生氏『少子化暴言』 責任の国民への押し付け許すな」、京都は「麻生氏の暴言 またか、と看過できぬ」と、暴言の文言を躍らせている。

 どんな論調なのかというと、「子どもを産むか産まないかは、個人の自由な選択によるもので、政治家が口をはさむべきではない」(朝日)と、毎日の記事にもあった自己決定権だ。だが、こういう個人や自己決定権の過度な主張こそ、結婚や家族の価値を軽んじて少子化をもたらした元凶ではなかったか。

◆背景に「個人VS家族」

 東京は「少子化は子どもを産まない人が問題なのではない。そうせざるを得ない社会にしている政治の責任こそ自覚すべきだ」と言い、朝日は「非正規雇用が増え、低賃金や将来不安から、結婚や出産をためらう人たちがいる。子育てをしながら働ける環境も十分ではない。少子化の危機が叫ばれながら、抜本的な対策を怠ってきたのは、長年政権の座にあった自民党ではないか」と、もっぱら労働政策をもって自民党を攻撃する。

 確かに自民党は抜本的な対策を怠ってきた。それは労働政策でなく、出生率を高める人口政策だ。だが、それを言おうものなら、朝日などの左派紙は「産めよ殖やせよ」の戦前の軍国主義復活だと潰(つぶ)しに掛かった。1970年代末、当時の大平正芳政権が家族支援策を推進しようとしたが、「政治は家庭に介入するな」と猛反対した。

 少子化をめぐっては、戦後の個人VS家族の攻防が背景にある。麻生発言を暴言扱いするのは形を変えた家族潰しだ。

(増 記代司)