緊急事態条項めぐり護憲派メディアに遠慮する「平時ボケ」の自民党
◆大震災に政府は無策
東日本大震災から7年を迎えようとしている。3・11。心に刻まれた月日である。
私事で恐縮だが、筆者の自宅は福島県郡山市にある。地震発生時、東京・渋谷にいた。ビルの事務所のケース棚が倒れ、ガラスが飛び散った。近くの代々木公園に避難し、急いで携帯のテレビを見ると、大津波が映し出されていた。字幕を見て愕然(がくぜん)とした。知人の住む仙台市若林区の荒浜だった(後に知人一家の死亡を知った)。
数日後、自宅に電話が通じた。原発事故で大騒ぎだという。「水が出ない。水をもらいに車で行きたいが、ガソリンがほとんどない」。聞けば、ガソリンスタンドは車の大行列、7時間待っても給油できなかったという。タンクローリーは放射線を恐れて福島県内に入って来ない。「政府は何をしているの?」。返す言葉がなかった。
大地震と大津波、そして原発事故。3重苦の大災害だった。誰が考えても緊急事態だ。もはや平時の態勢では収拾できない。ところが、憲法に緊急事態条項がない。何事も平時態勢だ。おまけに時の総理は護憲論者、菅直人氏。救援活動にもさまざまな縛りを掛けられた。福島第1原発から30キロ内の屋内退避地域の人々に民間ヘリコプターが物資を投下しようとしたが、それには届け出が必要で勝手な投下は違法とされた。
被災地では自衛隊、警察、消防、医療関係者、地域住民らが総力を挙げて救援活動に当たったが、政府の無策で肝心の食糧や水、燃料、医薬品などが底を突き、低体温症で命の危機にさらされる人が多数出た。避難所で亡くなる高齢者も相次いだ。「人の命より憲法が重いのか」。そう実感させられた大震災だった。
◆権限集中は棚上げ?
それでも憲法に緊急事態条項は必要ないと言うのだろうか。昨今の憲法論議には疑問が湧く。自民党は昨年末、緊急事態条項について国会議員の任期延長に絞った案と、政府への権限集中や私権制限を含めた案の2案をまとめたが、執行部は任期延長に限定したい考えだと伝えられる(各紙2月1日付)。その理由は権限集中や私権制限には批判が根強いからだという。
どうやら自民党にも「平時ボケ」が広がっているようだ。国会議員の任期延長も必要だろう。衆院解散や任期満了の総選挙時に大災害が発生し投票できなければ、衆院が空白になる。だが、憲法は解散時に「国に緊急の必要」が生じた場合、参院が国会機能を代行する「緊急集会」を開けるとしている(54条)。だから、立法府の機能は果たせる。
何よりも急を要するのは政府の対応のはずだ。それを棚上げして何が緊急事態条項か。産経2月2日付主張は「任期延長だけでは足りぬ」とし、「重要なのは、緊急事態を宣言し、一時的に首相や内閣に権限を集め、法律に代わる緊急政令を出し、財政支出を行う仕組みだ」と指摘。本紙15日付社説は「権限集中がなければ無意味だ」と論じた。いずれも正論だ。
◆戦後のドイツ語らず
自民党は何を恐れているのか。批判が根強いとは左派メディアのことだろう。これまで盛んに反対論を張ってきた。例えば、朝日は護憲学者を動員し「臨時独裁的な権限を握った政府は、憲法や関連法を政府に都合よく拡大解釈しがちです。歴史をさかのぼってみると、戦前の治安維持法は…」(片山杜秀・慶応大学教授)と明治憲法下の日本を持ち出し、あるいは「ナチス 緊急令で独裁正当化」(石田勇治・東京大学教授)とヒトラーのドイツを例に反対した(2016年10月5日付)。石田氏は毎日紙上でも「ヒトラーの危険な『手口』」(17年10月22日付)と言いつのる。
だが、不思議に思うのは護憲論者が戦後のドイツについて語らないことだ。ドイツ(西ドイツ)には当初、緊急事態条項がなかったが、1968年の基本法大改正で同条項を新たに設け、有事や大災害に備えている。ナチス独裁を教訓に緊急事態下でも立法機能を休止させず、平時に国会議員の中から有事用「合同委員会」議員(48人)を選任し首相らと対応する。
これこそ国民の生命・財産を守る国家の在りようだ。わが国の憲法に緊急事態条項がないのは恥辱だ。自民党は護憲派メディアに遠慮せず、堂々と正論を展開すべきだ。
(増 記代司)





