「潔白」を証明しようとせず居直る山尾議員をしつこく追い掛ける文春

◆“嫌がらせ”のレベル

 週刊文春(11月23日号)が「禁断愛騒動」の山尾志桜里衆院議員を追い掛け回している。同誌は今月12日、大阪のイベントに出演していた山尾氏と“お相手”の倉持麟太郎弁護士の姿を捉えていた。しかし、2人は同じ講演会に出演しただけの話で、実際に2人が同じホテルに泊まったわけでもなく、“不倫”を思わせる現場を同誌が確認したわけでもない。そして、山尾氏にぶつけた具体的質問は、「政策顧問(倉持氏)に給与を支払うのか」だけだった。もはや“嫌がらせ”のレベルである。

 しかし、文春がこのようなしつこい取材をするのも、本はといえば、山尾氏が「疑惑」に答えていないからだ。他人の追及には厳しく、自らには甘く、しかも「私」の部分だとして質問を遮断するのは、どうみても通用しない理屈だろう。

 もしこの「顧問」の仕事が自宅の庭の設計だったり、子供の進学相談だったりすれば、「私」の部分だが、「これから一緒に安倍政権の憲法改正に対峙する」という政治活動そのものなのだから「私」であるわけがなく、政治活動すなわち衆院議員としての「公」の活動である。それに対して「剥(む)き出しの好奇心」を出すなと週刊誌に説く方がおかしい。こんな自明なことが山尾氏には通じないのか。今後、衆院任期中、まったく理屈の通じない野党政治家が政界を引っかき回すのかと思うと、先が思いやられる。

 一般的に言ってW不倫は当然ながら、両方の家庭を壊し、家族を傷付ける。「倉持氏の知人」は、「不倫発覚でそれぞれの家庭は深く傷付いたはず。互いの家庭を守れない二人に憲法問題を説かれても信用できませんよね」と同誌に語っているが、その通りだ。

 同誌に注文したい。ぜひ山尾氏に「潔白」を証明する場を提供してやってほしい。もちろん、だからこそ同誌は“しつこい”取材を続けているのだろうが。そして、山尾氏の方も地元(愛知7区)でもない地方紙を使って、こそこそマスコミ批判をするよりも、週刊誌ナンバー1の文春で身の潔白を晴らしたらどうだろうか。そうしたら「剥き出しの好奇心」も収まるだろう。

◆酒鬼薔薇事件と類似

 「座間9人殺害事件」は「史上最悪の快楽殺人」の実態が明らかになってきた。文春は「殺人鬼の狡猾な手口」を徹底取材で暴いている。読むには痛まし過ぎる記事だ。それに対して、週刊新潮(11月23日号)はこの事件を同誌らしい角度で切り込んでいる。20年前の「酒鬼薔薇聖斗」事件とシンクロしていると言うのだ。

 しかも、酒鬼薔薇聖斗がネット民の一部で“神格化”されているように、座間事件の白石隆浩容疑者に関しても、「できるなら私も殺してほしかった」というようなネットへの書き込みがあり、神格化の兆しがあるという。

 酒鬼薔薇聖斗事件はその猟奇性から注目を集めた。研究もされた。対応策も当然取られたはずだ。しかし、同じような悲惨な犯罪が繰り返された。このような犯罪の動機や背景として、同誌は「精神科医の片田珠美氏」の見方を載せている。片田氏は、「海外でも、愛するものを失った結果、糸が切れたように攻撃衝動を爆発させ、犯行に及んだ連続殺人犯はすくなくありません」として、酒鬼薔薇聖斗は「祖母を亡くした」こと、白石容疑者は「両親の離婚」の影響を指摘した。

 「新潟青陵大学大学院の碓井真史教授」は、「犯罪心理学には、“人が犯罪に手を出さないのは社会との絆があるから”というソーシャル・ボンド理論があります」と紹介している。いずれも社会や家族との絆が切れた時、異常犯罪の入り口に立つ。

◆同じ教訓の繰り返し

 結局、「家庭や地域、社会とのつながり、絆が重要だ」と、いつも同じ教訓が繰り返されるのだが、では、その最初の基礎である「家庭」の価値や重要さがどれほど教育され、社会で共感され、築かれようとされているかはあまり顧みられない。「選良」がW不倫の疑いが掛けられても、潔白の証明どころか、居直る姿を国民は見せつけられている。

 週刊文春で「文在寅は韓国の鳩山由紀夫だ」の記事が載っていた。5ページの「現地総力取材」である。自国の安保を同盟国でもない中国に預けてしまう文大統領を鳩山氏と並べているが、もうどうでもいい。「座間事件」を押しのけてトップになるほどの話題ではないということだ。

(岩崎 哲)