「テロ等準備罪」法案に相変わらずの紋切型反対論で難癖付ける東京

◆左派紙による猛反対

 テロほど許せない凶悪犯罪はない。爆弾や銃器を使って一般市民を大量に殺傷する。これを断じて防ぐ。このことに異論のある国民はよもやいまい。国際社会の共通課題でもある。その一環で政府は「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する法案を国会に提出する。

 同罪は2004年から09年にかけて創設を目指したものの、日の目を見なかった共謀罪に代わるものだ。今回、「組織犯罪処罰法」を改正し、共謀罪の名称を使わず「テロ等組織犯罪準備罪」として新設する。過去の論議で猛反対した新聞はテロ防止をどう考えているのだろうか。

 共謀罪が論議されていた05年7月、ロンドン同時テロ事件が発生し50人以上の死者を出した。そのとき朝日は「テロへの怒りと悲しみを、われわれも共有したい」として次のように述べた。

 「この戦いに勝つには、基本的なことだが、警察や情報機関の捜査能力を高めるしかない。事前にテロの準備を察知し、事後には犯行グループを追いつめ、摘発する。そのためには国際的な監視網、捜査網に各国がもっと投資すべきだ」(同9日付)

 実に常識的な論調だったが、残念なことに事前にテロの準備を察知したらどうするのか、朝日社説には書かれていなかった。だが、2000年に国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」は事前に察知したら逮捕せよと明快に答え、国内法に共謀罪の創設を義務付けていた。現在、187カ国・地域が国内法を整備して同条約を批准している。

 それにもかかわらず、朝日などの左派メディアは「一般市民も飲み屋で相談しただけで捕まる」「内心の自由すら認められない」「暗黒社会の再来だ」などと猛反対した。それで政府も腰砕けとなり、国会の解散もあって共謀罪は3度も廃案となった。

◆反権力意識を丸出し

 朝日はテロが起これば、犠牲者に寄り添うかのように「テロへの怒りと悲しみを、われわれも共有したい」と口では言うが、いざ当局が捜査能力を高めようとすると、反権力意識を丸出しにして反対した。

 05年と言えば、地下鉄サリン事件から10年を経た節目の年でもあったが、朝日の編集委員(当時)、降幡賢一氏はこんなことを書いていた。

 「(テロ事件後)公権力による強制や監視、取り締まりにすべてを委ねようとするようになった…人々が互いを監視する風潮はやがて国歌を起立して歌わなかった教員たちが処分されたのに象徴的なように、権力が人々の内面に立ち入ることまで許すようになっていった。街角の監視カメラは、もう珍しいことではない」(同年3月20日夕刊)

 その監視カメラ(防犯カメラと言うべきだが)が犯罪防止の一助となって昨年、刑法犯が戦後初めて100万件を割った。人々が協力し合って防犯に努めた成果だが、それを朝日は「互いに監視する風潮」とし、国歌斉唱まで持ち出して「権力が内面に立ち入る」と言った。ここでもテロ対策は二の次だった。

 東京の共謀罪批判もひどかった。ロンドン同時多発テロ事件が起こる前日(05年7月6日)、共謀罪を「現代版・治安維持法の異名すら持つ」と勝手に異名を付けて左翼ジャーナリストらを動員し、反対論を並べ立てた(同日付「特報」)。

◆人権侵害だけを危惧

 こんな具合に共謀罪に猛反対した左派紙だったから、政府の主張にそう簡単に耳を貸すまい。今回、政府は「重大な犯罪」を目的に集まった「組織的犯罪集団」に限定し、しかも具体的に計画し実行に向けた「準備行為」という要件を付け、対象犯罪も従来の600余から大幅に減らしている。それでも左派紙は難癖をつけている。

 東京1月14日付社説「共謀罪 内心の自由を脅かす」は、「合意という『心の中』を処罰する共謀罪の本質は極めて危険だ」と相変わらずの紋切型反対論だ。毎日1月14日付「犯罪の対象が広すぎる」、朝日2月2日付社説「前提から説明し直せ」はいずれもテロ防止の話がなく、捜査当局による人権侵害だけを危惧している。

 では、朝日が言った「事前に準備を察知」したとき、どうするのか。代案も示さず反対するのは、テロリストに味方するだけの話だ。

(増 記代司)