独立主権国家の憲法に直せ
「立憲主義」について(下)
理想掲げ現実対処を
新しい憲法をつくる国民会議会長 清原 淳平
日本は、一九五一年九月八日、サンフラランシスコで対日講和条約に署名し、翌年四月二十八日、ともかくも独立を回復した。そして六月二十三日、国連へ加盟を申請したが、それが許されたのは、四年後の一九五六年十二月だった。同じ敗戦国で独立を認められたドイツは、この同じ年、独立国家となった以上、自分の国は自分で守るのが当然だとして、非武装を謳っていたその基本法を改正して、国軍創設を明記した。
しかし、日本では、非武装の第九条を改正できずそのまま残された。そこで困ったのが国連との関係である。
国連は、独立主権国家を加盟国とし、国家間に紛争が生じた場合には話し合いの調停をし、それでも武力対立が生じた場合には国連が兵力を派遣し、緩衝地帯を設けることで紛争の拡大を収めることを規定した。国連当局から加盟国に要請があった場合は、それに応ずることが独立主権国家としての加盟国の義務である。
だが、その後の世界情勢は、国連創設当初の理想に反し、世界各地で紛争が絶えない。そこで、国連は、世界各地で紛争が生ずると、日本にも兵力の提供を要請してくる。
日本は当初、憲法で①陸海空軍の不保持②武力行使の永久放棄③(独立主権国家には認められる)交戦権も否認――しているので、参加できないとしてきた。しかし、それでは、日本は独立主権国家ではないのかと言われ、いや、独立主権国家ではあるが、憲法の制約があるので、との理由でやむなく、自衛隊を派遣してきたが、弾丸の飛んで来る恐れのない後方で、道路や橋の修繕や補給を行っている。これは、国連憲章に基づき、積極的平和貢献を行っている前述のドイツと比べられて、他の加盟国から心外に思われているのも、現実である。
当団体初代会長の故岸信介元総理はじめ私どもの念願は、国連に加盟した以上、日本もドイツ並に、占領下での非独立・植民地・属国憲法の体裁を改めて、国際的にも独立主権国家にふさわしい憲法に直した上で、基本的人権尊重はもちろん、平和主義を高く掲げ、日本は他国を侵略することは一切しない、しかし、スイスのように他国からの侵略に対しては、断固戦うことを明記することである。そして、当団体の改憲方法は、現行憲法の有効性を認め、その上で合法的・合理的に改正することにある。
なお、国連憲章では、国家には軍事的な大国もあるが中小国もあることを踏まえ、もし中小国が、他国から攻め込まれる恐れがある場合には、自国と密接な関係にある国に救援してもらう必要がある現実に基づき、国連憲章第五十一条に、両国間で防衛協力の協定を結び対処できる、とする集団的自衛権の規定を設けている。日米安全保障条約はこれに基づく。その詳細は、拙著『集団的自衛権・安全保障法制』(平成二十七年十二月、善本社刊)を参照してもらいたい。
日本国憲法は、第二次世界大戦終結後の永久平和理想主義に基づいて作られたが、その後の現実とは異なった。
日本では、学者・識者が、現実より理想に走り過ぎるように思われる。特に政治家は、国家の運営に関与しているだけに、理想を持ちつつも、現実を認識し執行しなければならないと思うが、野党の中には、理想にのみ走り過ぎている方が多いのではないか。
安倍政権の集団的自衛権の限定的容認や安全保障法制を違憲だという学者の風潮について言えば、占領軍により作られた日本国憲法を、占領下では批判、反対することは許されず、したがって、憲法学者は憲法の解釈学に追われ、日本が独立し国連に加盟しても、国連憲章との関係を論ずる人が少なかった。
この点は、ドイツの憲法学者が、立法論や国際法を併せ研究するのと異なる。ドイツの政治家もそうで、ドイツが独立後、その基本法(憲法)を六十回も改正しているのに、日本が憲法を一度も改正していないことに、如実に現れている。
日本においても、理想は掲げつつ現実に対処していかなければならないと考える。
(寄稿)