空虚な中世的定義

「立憲主義」について(上)

新しい憲法をつくる国民会議会長 清原淳平

言葉の感覚に惑わされるな

 近年、政治の世界、報道でも、「立憲主義」という言葉がやたらと使われている。なぜこの言葉が出てきたのか。

清原淳平氏

 それは、北朝鮮のミサイル発射、日本の尖閣諸島の領海・領空への中国の侵犯など、東アジア情勢の緊迫に伴い、安倍内閣が一昨年七月一日、以前の政府見解「集団的自衛権はあっても行使できない」との見解を改め、「集団的自衛権は限定的ながら行使できる」と閣議決定したのに端を発する。それに伴い二十もあった安全保障法制を整理統合した「平和安全保障法制」を国会で成立させた前後に頂点に達した。

 野党やいわゆる護憲派が、その反対論拠として持ち出してきたのが「立憲主義」なる言葉である。そして、彼らは、安倍内閣が現行憲法違反を犯しているかのように言い立てている。

 しかし、ものごとの判断は言葉の感覚に惑わされてはならない。その言葉の内容を考えて初めて、真実が分かる。

 この「立憲主義」が具体的意義を持ったのは中世である。中世では、武力・権力を持った者が国家を建て、専制君主政治を行ったため、抑圧・搾取された国民は苦しんだ。

 そこで、立ち上がった国民は、専制君主に、国民の権利を認めさせる法制度・憲法を作らせ、それによる国家運営を求めた。また、専制君主が応じない場合は、革命により王政を打倒して、国民の代表による共和国政体を作った。

 そして中世以降、この「立憲主義」は、国家運営の鉄則として定着した。それから何世紀も経た近代では、一般に国家は、憲法を持つのが当たり前となった。例えば、なお国民の権利を抑圧する独裁国家でも、一党独裁国家でも、みな憲法を持つ点で「立憲主義」国家と言えるのだ。もはや空虚化した観念なのである。

 野党側論者は、「立憲主義は、もともと権力者側の権力濫用を抑えるもので、安倍内閣の集団的自衛権の限定的行使容認と安全保障法制の整備は、第九条に反し、立憲主義の原則に反する」と言う。

 しかし、「専制君主の専横を制約する」との中世的定義を持ち出すのに時代錯誤を感じる。また、「集団的自衛権の限定的解釈変更」は憲法九条違反というが、その点は、戦後の歴史を振り返りながら指摘したい。

 最近、アメリカのバイデン副大統領も、「日本国憲法はアメリカが作ったもの」と発言している。

 第二次世界大戦が終わり、再び戦争が起こらないよう、国際連合が一九四五年十月二十四日に効力を発効して、世界は永久平和の理想実現に燃えていた。

 マッカーサー将軍もそれも参考に、前文の中に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」とその理想主義を謳い、起案した日本国憲法第九条に①陸海空軍の不保持②武力行使の永久放棄③交戦権の否認--を入れた。

 この日本国憲法の案文について、吉田茂総理は衆議院で四六年六月二十六日、「第九条は、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄したもの」と発言している。

 しかし、国際連合は出来たものの、すぐ二大国米ソの対立・冷戦が始まり、極東でも、五〇年六月二十五日に朝鮮半島動乱が始まり、マッカーサーは米軍主力が朝鮮へ出動するため、日本に警察予備隊の創設を命令し、警察予備隊ができる。

 さらに、五二年には、アメリカの要請で、警察予備隊を保安隊へと編制し、吉田総理は、「自衛のための戦力は、違憲にあらず」と国会答弁している。

 そして、保安隊から自衛隊への改変に際しても、吉田総理やその後の政権も、第九条の内容を、内閣が時に解釈変更してきた経過があり、安倍内閣も、そうした過去の経緯に基づいて解釈変更したまでであって、それを、立憲主義それも中世的定義を持ち出し攻撃するのは妥当ではない。

 立法府たる国会は法理論を踏まえての論理の展開・討論の筈であるのに、論理の展開がなかった。昨年の安保国会などは特にそうで、反対論を提示せず、ただ戦争になる、戦争反対、そして、空虚な立憲主義なる言葉を振り回し、反対のための反対であった。

(寄稿)