共産党の破防法調査対象は当然である
政府は日本共産党について、「警察庁としては現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を閣議決定した。
答弁書は、戦後に合法政党になって以降も「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」「現在においても破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体だ」などとしている。
51年綱領で武装闘争路線
これに対して、共産党の山下芳生書記局長が記者会見し「党として厳重に抗議し、撤回を求めたい」と反発した。が、不都合な党史を隠す姿勢を繰り返しても、主義・思想と行動を一致させた武装闘争路線の一時代は確かな史実で、現在も破防法の調査対象団体だ。暴力路線を明確に否定しない限り、抗議は全くの筋違いである。
答弁書は民主党を離党した鈴木貴子衆院議員の質問主意書に対するもので、共産党の野党共闘への反発が背景にありそうだ。共産党との協力関係を進める民主党執行部に異議を唱えて離党したのは鈴木氏だけではない。昨年10月、外相や政調会長を歴任した松本剛明衆院議員も、「国民連合政府」構想を提案した共産党との連携に動く民主党を離党した。
それでも、民主党執行部は①選挙協力②安倍政権打倒③安全保障関連法廃止と集団的自衛権行使一部容認の閣議決定撤回④国会での協力――などの項目で共産党とも野党共闘を進めた。この共闘に加わった維新の党と合流し、民進党になっても変わらないだろう。
民主党離党議員が、共産党についての答弁書を引き出したのは、民進党を旗揚げする民主党に対し警鐘を鳴らしたかったのではないか。今回の答弁書について、政権選択の枠組みに参入しようとしている共産党と共闘する各野党も見解を示す責任がある。
また、仮に政権に就いたとすれば共産党との協力関係を撤回するか否かが選挙争点に浮上する可能性もあろう。
共産党が武装闘争路線をとったのは、1950年に北朝鮮が韓半島共産化のため南侵した韓国動乱に乗じ、ソ連共産党の独裁者スターリンの指令により51年党綱領で暴力革命路線を打ち出したからだ。地下本部の「軍事委員会」の下に中核自衛隊などを組織し、派出所、税務署、地主を襲撃して多くの犠牲者を出した。52年に札幌で起きた白鳥警部射殺事件では逮捕された党員の冤罪(えんざい)を主張し、再審請求を行うなど欺瞞(ぎまん)的な運動も繰り返された。
中でも「血のメーデー事件」と呼ばれる52年5月1日メーデーの皇居前騒擾(そうじょう)事件では、約800人の警官が負傷する大掛かりな破壊闘争となった。これが同年の破防法制定と公安調査庁設置の理由となった。
暴力革命放棄確約させよ
その後、殺傷・破壊など当時の武装闘争に対する謝罪・反省・償いはもちろん、闘争の理論的根拠の共産主義との決別も党名変更もしていない。27日に結党する民進党など野党は共闘以前に、共産党に暴力革命放棄を明文化させるなどの確約でけじめをつけさせるべきである。