安保法制論議、「戦争法案」でなく抑止法案
終戦記念日を前に国会周辺などで安全保障関連法案を「戦争法案」と称して反対するデモや集会がマスコミに取り上げられている。が、戦後の安保法制は激変する国際情勢の中で必要に応じて政策転換して整備されてきた。法案の目的は戦争をすることではなく戦争抑止である。
変遷してきた憲法解釈
安保関連法案について安倍晋三首相は、日米同盟を強化して抑止力を高めることにより、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなると当初から説明し、理解を求めている。
これを曲解した批判には問題がある。デモのスローガンは「戦争させない」「子どもをころさせない」など、日本が米国とともに戦争を起こすかのように不安を煽っている。実際は「アベ政治を許さない」との標語に示されるように、共産党など野党の党略的な首相個人への集中攻撃による反政権運動にすぎない。
戦争を起こさないことは国民すべての当然の願いである。その手段としての抑止力について理解を阻むのは問題だ。一部マスコミには、首相が戦争を起こしたいかのように表現し、感情に訴えて世論を安保関連法案反対に結び付ける悪意がある。
憲法9条について、政府は敗戦間もない日本国憲法制定過程で「自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」(1946年吉田茂首相)と解釈した。しかし、冷戦が極東で熱戦と化した50年の韓国動乱で共産軍が韓国・釜山付近まで侵攻する緊迫した情勢から「自衛権は当然の権利」(51年同首相)、54年発足の自衛隊に関しては「自衛のための武力行使は憲法違反ではない」(鳩山一郎内閣)など憲法解釈は変遷し、安保法制・体制が整備された。
今回は政府が従来行使できないと解釈してきた集団的自衛権の限定的行使を容認しての法整備だけに反発も強い。が、米国との同盟関係を深化することこそ「戦争させない」効果が最も大きいのであり、同法案は「戦争法案」ではなく実際には「戦争抑止法案」である。
南シナ海の西沙諸島を中国が不法占拠したのは、73年に米軍が南ベトナムから全面撤収した後の74年だ。91年にフィリピンは米軍のスービック海軍基地駐留延期を拒否し米軍は撤収したが、ほどなく中国はフィリピンが領有権を主張する南沙諸島のミスチーフ礁などを占拠し、現在は埋め立てを進めている。今日ではベトナムはかつての敵国である米国と軍事協力し、フィリピンは米軍の再駐留を認める協定に調印した。
これらは、米国との同盟強化が抑止力を高め、関係後退は国難を招くことを表している。尖閣問題も民主党政権時代にインド洋からの自衛隊撤収、普天間飛行場辺野古移設の日米合意白紙化などが対米関係を揺るがしたことで深刻化したものだ。
安易な批判は無責任
過去の戦争を安保関連法案に重ねて国民感情に訴える政権批判は、反対野党としては安易な宣伝手法だが、真に国の平和と安定に責任を持つものとは言えない。誰もが平和を希求する。戦後それを維持し得たのは高度な安保政策上の政治決断と実行があったためと評価すべきだ。
(8月13日付社説)