外国人の参加認める武蔵野市の住民投票条例、保守紙は徹底追及を

「武蔵野市の住民投票条例」
日本人と外国人を区別せず、市内に3か月以上住んでいる18歳以上に投票権を認める内容。

形を変えた共産主義
 立憲民主党の菅直人元首相の愛(まな)弟子、いわゆる菅直人チルドレンと呼ばれる松下玲子・東京都武蔵野市長が常設型住民投票制、それも市内に3カ月以上住んでいる外国人にも投票を認める住民投票条例案を市議会に提出して物議を呼んでいる。

 それで民主党政権(2009~12年)を思い出した。「悪夢のような」の枕ことばをもって語られるほど不毛な政策が多かったが、その一つが「地域主権」だった。鳩山由紀夫氏は地域主権を「改革の1丁目1番地」と位置付け、これを継承した菅直人氏は政治の師と仰ぐ松下圭一・法政大学名誉教授の「市民自治」論を国政に持ち込もうとした。

 同論はイタリア共産党の指導者アントニオ・グラムシらが唱えた「構造改革論」の亜流で、「市民自治」を基礎とする国家の再構築(構造改革)を目指すという考え方だ。識者からは「国家死滅」を目論(もくろ)む形を変えた共産主義と指摘された。

 その手始めとされたのが「住民投票法」だった。すべての地方自治体に住民投票の実施を義務付け(常設型住民投票制)、それに法的拘束力を持たせようというのだ。こんな法律に大喜びするのは、さしずめ辺野古反対闘争屋や反原発主義者たちだろう。左派メディアが住民を煽(あお)ってその気にさせれば、いつでも国の政策をひっくり返せる。国を否定するのが「市民自治」というわけだ。

 しかし、現行憲法制度では地方自治は首長と議会の二元代表制が採られ、住民投票で施策を決する仕組みはない。だから憲法の「地方自治の本旨」を踏みにじると批判され、成立しなかった。それを自治体レベルで再現を目論んでいるのが武蔵野市の「常設型プラス外国人」の住民投票条例案とみてよい。

参政権に等しい内容

 これに対して東京は2日付社説で「外国人投票条例 多様性反映するために」と、「外国人投票条例」と表現し、おまけに「多様性反映」と褒めちぎっている。「地域の大事な課題に意見を表明することは、表現の自由として保障された基本的人権だ。国際協調や多様性が重視される時代には、同じ街に住む外国人の意見も、街の特色を生かした地方自治の一つとして尊重されるべき」だとしている。

 何という勘違いだろうか。住民投票は単に「意見を表明」したり、「表現の自由」を保障したりするものとは性格を異にする。「国際協調」や「多様性」とも何の関係もない。住民の意思を投票によって地方自治体の政策に反映させるものだ。条例案は市長と議会に「住民投票の結果を尊重する」と事実上、拘束力を持たせており、政策形成過程に参加する参政権に等しい。

 これに反対する産経は、衆院法制局が「(住民投票が)何を対象にするのか、結果の拘束力がどの程度あるのかなど、前提となる要素が整えば選挙権に匹敵し得る」との見解を紹介している(3日付)。憲法は参政権を日本国民固有の権利と明記しており、外国人に参政権は付与していない。読売2日付社説が「住民投票権 外国人参加を安易に考えるな」と東京とは真っ向から異なる論を張ったのは正論だ。

 それにしても松下市長は何のために「外国人」を市政に引き入れたいのか。菅直人氏はかつて北朝鮮による日本人拉致実行犯の辛光洙(韓国で死刑確定)の釈放嘆願の署名を行って北朝鮮への逃亡を手助けしたことがある。拉致犯親族の関わる政治団体に6250万円の巨額の政治献金をしたこともある。

 おまけに首相時代に中国への忖度(そんたく)を繰り返したことでも知られる。尖閣諸島で巡視船に故意に衝突して逮捕された中国漁船の船長を釈放させた(当時の外相、前原誠司氏の証言=産経20年9月8日付)。武蔵野市をして「親朝・親中の砦(とりで)」にしたいのか。

「常設型」の問題点も

 住民投票条例案には疑念が尽きない。保守紙は「外国人」に「常設型」の問題点も加えて徹底追及してもらいたい。

(増 記代司)