安倍氏を「悪代官」として描き「何でもよいから反自民」報道を行う朝毎

いつの時代も、メディアは選挙に対して大きな影響を与えてきた。

メディアが選挙左右
 総選挙がきょう、公示される。単純に言えば、与党か、野党か、の選択だ。有権者はいかなる情報を基に一票を投じるのだろうか。選挙とメディアを振り返っておこう。

 1世紀前の1920年、米国のジャーナリスト、W・リップマンは新聞を民主政治のバイブルになぞらえた。朝夕に聖書を読んで自らの行動を律するように、人々は朝夕に新聞に目を通して政治的行動の指針としたからだ。当時、メディアは新聞だけだった。

 20年代にラジオが登場すると、33年に32代米大統領に就任したルーズベルトはホワイトハウスからラジオで語り掛ける「炉辺談話」で支持を広げ、一方、ドイツのヒトラーは同年、ナチ党の大選挙キャンペーンをラジオで展開し圧勝した。

 60年の米大統領選挙ではケネディとニクソンがテレビ討論で「大いなる論争」を繰り広げ、見栄えの良いケネディが勝利した。70年代のベトナム戦争では生々しい戦闘シーンが茶の間に流れるリビングルーム・ウォーで厭戦(えんせん)気分が広がり、米国は敗れた。

 テレビはそれ以降、増長した。仏ジャーナリストのアラン・マンクによれば、テレビ報道は90年代初めの湾岸戦争から「ショー的な報道」に傾斜し、事件映像の反復・誇張を繰り返し、キャスターが独りよがりな価値観を押し付けるようになった(『メディア・ショック』新評論)。

 世論(選挙)に死活を握られている政治家はひたすらテレビ出演の機会を探り、その日に合わせてネクタイの色まで考える。政策も大衆受けを狙いポピュリズムに陥ると、マンクは警鐘を鳴らした。

印象操作で世論誘導

 折しも日本では93年7月の総選挙でテレビが与野党逆転劇の主役を担った。テレビ朝日の椿貞良報道局長(当時)は「自民党の梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長は悪人顔をしており、二人をツーショットで撮り報道するだけで、視聴者に悪だくみをする悪代官という印象を与え、自民党守旧派のイメージダウンになった」と、非自民党政権を誕生させた世論誘導を誇らしげに語った(93年9月21日、日本民間放送連盟「放送番組調査会」で)。いわゆる椿事件だ。

 椿氏は「今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、何でもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道」方針を決め、番組作りを進めた。「悪代官」の画面を何回も繰り返すことで視聴者に理性的な判断を狂わせる手法を使った。

 言うまでもなくテレビ朝日は朝日新聞のグループ企業で、その影響下にある。だから椿氏の「何でもよいから反自民」報道は何もテレビに限った話ではない。むろん昔話でもない。紙面ではさらに“工夫”を凝らして反自民キャンペーンを張ってきた。

 とりわけ2012年に改憲を掲げる安倍晋三政権が誕生すると、安倍氏を軍国主義者呼ばわりした。特定秘密保護法には「言論弾圧法」、安保の空白を埋める集団的自衛権の見直しには「戦争法」「戦争できる国」のレッテルを貼り、安倍首相辞任には「(首相在任7年8カ月の)この間、深く傷つけられた日本の民主主義を立て直す一歩としなければならない」(20年8月29日付社説)と、6回の国政選挙で国民の信を得た安倍氏を民主主義の破壊者に仕立てた。

レッテル貼りやめず

 今回はというと、衆院解散を伝える朝日15日付1面は「岸田・菅・安倍政権の4年 問う/「悪弊」断ち切る覚悟 見極めを」と、自民党政権を「悪い習わし」と断じ、社説では「日本の民主主義を深く傷つけた安倍・菅両政権の総括」と、相変わらずのレッテル貼り。毎日も「『安倍・菅路線』からの脱却を」(9月30日付社説)と朝日と似たり寄ったりの論調を張っている。

 左派紙は安倍氏を「悪代官」に描き、岸田氏をその子分と見立て、「何でもよいから反自民」報道にうつつを抜かす魂胆らしい。冒頭のリップマンはこれを「ステレオタイプ」と名付けている。ご用心を。

(増 記代司)