立憲、国民協議 非共産の原点喪失こそ問題だ


 立憲民主党の枝野幸男代表と国民民主党の玉木雄一郎代表が会談し、両党の合流に向けた協議に入ることで合意した。衆院の両党の控え室を隔てた壁の撤去を進めるなどパフォーマンスが先行しているが、数合わせでなく民進党分裂の一要因である共産党との共闘と決別し、政権交代可能な現実主義を目指さなければ有意義ではない。

党名変更や分裂繰り返す

 平成の政治改革論議を経て導入された衆院小選挙区比例代表並立制は、政権交代可能な2大政党の競争と緊張感により政界浄化の効果を期待したものだ。実際、2度の政権交代があった。

 しかし、政権を失い、野党となったことをバネとして巧みに再起を遂げたのは現在政権にある自民、公明両党だ。約3000万の記録的得票で2009年衆院選に勝利して政権に就いたにもかかわらず、民主党は3年余りで野党に転落すると、党名変更や分裂を繰り返して迷走を重ねている。

 このため政権交代の可能性が薄くなり、野党は健全な役割を果たせなくなっている。各世論調査で政権の「緩み」が指摘される弊害も生んでいる。閉幕した臨時国会でも「桜を見る会」などさまざまな疑惑を野党は追及するが、自らの党の支持率上昇や政権交代への期待感の獲得には成功していない。

 このため、もともと同じ党だった立憲と国民が、再び一つにまとまろうとする動きは自然なことだが、希望の党からの衆院選出馬という奇策をめぐって生じた相互不信は感情だけにとどまらない。引き金は共産党との選挙協力であり、大きく見直すべきは野党共闘のあり方だ。

 枝野、玉木両党首は合流協議合意後、労組・連合の神津里季生会長とも会談したが、1990年代の政界再編より前に労働界再編があり政治的には反自民非共産の大枠を掲げたのが連合だ。この大枠に連合を基盤として保革の政治勢力が合流したのが民主党だった。

 政党が目指す国家像を示すのは当然であり、日本を共産主義にせず、資本主義の中で自民党政権以外の選択肢を有権者に示す反自民非共産の大枠は重要な原点だったはずだ。

 しかし、現在の野党各党は反自民であっても、選挙で共産党の票を得ることで「非共産」を曲げている。共産党は参院選で全ての1人区に野党統一候補を擁立したように、衆院小選挙区でも選挙協力を進める構えで、政権選択選挙の一角に食い込もうとしている。

 だが、水と油の政党間の選挙協力による票の数合わせは、矛盾を内包し、軋轢(あつれき)を生じさせることにもなる。例えば、2016年参院選で宮城県選挙区で共産党の全面的な支援を受けて自民党候補を破った桜井充氏は、国民民主党からの離党を表明した際に将来の「自民党入り」を否定しなかった。政党選挙、政策選挙を度外視しては逆に何でもありとなる。

安易な数合わせ避けよ

 立憲、国民の合流協議が衆院選を見据えたものである以上、共産党との関係に整理をつけなければ、安易な数合わせが繰り返される弊害の方が大きいと見ざるを得ないだろう。