日本留学組が結成主導 「毛沢東の先生」李大釗ら
香港弾圧 色あせた理想
中国共産党100年
【北京時事】中国共産党創立100年を記念する7月1日に向け、習近平指導部はマルクス主義を最初に伝えた李大釗や、党初代最高指導者・陳独秀ら結党時の指導者を盛んに宣伝している。2人を含む一群の若者が、近代化した日本に留学後、欧米の知識を携えて結党を主導した。
中国国営中央テレビは2月、李、陳、毛沢東の3人が主役の連続ドラマ「覚醒年代」の放送を開始。初回は1915年、李が留学先の早稲田大学で中国人学生らを前に「救国、打倒袁!」と演説し、陳と出会うシーンで幕が開ける。当時、山東省のドイツ権益譲渡など、日本から突き付けられた21カ条要求を中華民国の大総統だった袁世凱が受諾し、反日運動が激化するきっかけとなった。
今年6月下旬、北京市中心部で公開中の李の旧宅は団体客らでごった返していた。60代女性は「偉大な革命先駆者を学びたい」と冗舌だったが、李の日本留学は「少し知っている」程度。3人組の女子大学生は「初めて聞いた」と驚いていた。
「中国共産党の主要創設者」と特筆される李は日本と関係が深い。07年に天津の北洋法政専門学校に入り、当時招聘(しょうへい)されていた政治学者、吉野作造らに接した。李はその後進んだ早大では、教授で社会主義者の安部磯雄らの影響を受け、日本語書籍を読みあさった。
17年のロシア革命後、李はマルクス主義を紹介する論文を次々発表。教授を務めた北京大学を拠点に雑誌出版や結党準備を進めた。李の下で働いた毛は後年、李を「私の真の先生」と呼んだ。
明治維新を経て日清戦争に勝利し、欧米の学問を吸収して「共産主義」などの和製漢語を生んだ日本には「多くの中国人知識人が渡り、救国・救民の道を探した」(共産党機関紙・人民日報)。浙江紅船幹部学院(浙江省)の徐連林副院長によれば、共産党初期メンバー58人のうち18人は「高い教育を受けた」日本留学組だった。
愛知県立大学の川尻文彦教授(中国近代思想史)は「創立当初の中国共産党に対し、理論面で日本の貢献は大きかった」と話す。ただ、コミンテルン(国際共産党)の影響で党内はロシア留学組の勢いが増していく。川尻教授は「厳しい統制など、ロシア革命を成し遂げたボリシェビキ的な政治文化が中国共産党に色濃く反映され、今日まで続いている」と指摘する。
21年7月に開かれた第1回党大会では「言論、出版、集会の自由を勝ち取る闘争」などに言及した決議が採択された。しかし今の中国は体制批判を許さず、香港での言論弾圧も苛烈さを増し、結党時の理想は色あせている。