北方領土問題に唱える異見

大藏 雄之助1評論家 大藏 雄之助

対露理解が必要な日本

ウクライナ問題に独自性を

 林子平は蝦夷(えぞ)・千島付近にロシアが出没するのを憂えて天明7年(1787)に『海国兵談』の第一巻を出版し、「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」と書いて国際的な視野による国防を説いた。しかし、幕府は「余計な口出しをする者」として子平を投獄し、この本を禁書とした。それからちょうど10年後の寛政9年、まさに警告通り、ロシア人が択捉(えとろふ)島に上陸した。

 以来210年余、択捉は北方領土の一部として解決を待っている。今日これについて論じても罰せられる恐れはないから、私は異端の提案をしたい。

 いわゆる北方領土を取り戻すチャンスは何度かあったが、その一つは田中角栄首相当時だった。1973年の日ソ首脳会談を私は随行記者としてモスクワで見ていた。田中首相は北方四島が懸案であることをブレジネフ書記長に認めさせた。共同声明では「日ソ間には未解決の諸問題がある」と薄められはしたものの、ソ連は、2桁成長を続ける日本の、長期政権が予想される政治家と取り引きをするつもりだったに違いない。のちにブレジネフは、「日本側が現実を認めないので未解決になっているだけで、ソ連には領土問題は存在しない」と言い訳をした。

 次の最大の機会はゴルバチョフ大統領の1991年3月の来日だった。それより前の1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、すでに東西ドイツの統一が決まっていた。東ドイツの喪失と東ヨーロッパ諸国の放棄に比べれば北方領土などどうでもよかったろう。だが海部首相は、窮地にあるゴルバチョフに付け込むのは武士道精神に反すると考えて4島の名前を公式文書で確認するにとどめた。そして夏にはクーデター騒ぎでゴルバチョフはエリツィンに権力を奪われ、年末にソ連は消滅した。

 プーチンは大統領に就任するとすぐに北方領土の地位を専門家に検討させたと言われている。それによれば、国際司法裁判所の裁定に委ねた場合、勝ち目がないという判断だったという。プーチンの発言は一定していない。引き分けにしようと言ったかと思えば、歯舞・色丹は1956年の日ソ共同宣言で「平和条約締結後に日本に引き渡す」と約束しているのだから返還するが、その手続きが完了するまでにどれぐらいかかるか、その土地にロシアがどのようにかかわるかなどは不明だ、と付け加えている。また別の時には、北方領土交渉は4島全部が対象であるとも述べている。一方で、第2次世界大戦の結果を変更することは不可能だとも言う。それなら日露間に改めて平和条約を結ぶ必要はないはずだが、実は平和条約で国境線を画定しなければならないことはわかっているのだ。つまりわが国にはまだ領土回復の余地がある。

 ここで私は林子平にならって「択捉の海はクリミア半島につながっている」と言いたい。

 ロシアのクリミア併合に関してヨーロッパ諸国、特にソ連の統治下にあったバルト3国や旧東欧諸国から「再びロシアの侵略が危惧される」との声が上がっている。けれども、往時のソ連でさえも一応の形式は整えていた。バルト3国はナチス・ドイツとの勢力分割の秘密協定によって進駐した上でそれぞれの議会にソ連加盟を申請させた。東欧諸国は占領後に傀儡(かいらい)政権を樹立した。これに対してクリミアでは、前にこの欄で書いた通り、武力制圧による住民投票で独立宣言をさせたわけではない。

 EUとアメリカが制裁を科すると、日本政府も同調した。ロシアは直ちに報復制裁を発表したが、安倍政権に対しては軽減措置をとった。プーチンは晋三の共同歩調は意外だったと明言している。この信号は見逃せない。

 日本は安全保障上アメリカの要請は尊重しなければならない。しかしながら、ウクライナ問題は日本が独自の立場をとることが許されないほど重大なことであろうか。EU自体対露政策では腰が引けている。かつてイラク戦争でアメリカ軍が血を流して戦っている最中にドイツとフランスは距離を置いた。それでも両国は依然としてアメリカの友好国だ。ロシアと国境を接する日本が、決定的でない範囲でそれなりの配慮をすることはありうる。

 プーチンは、クリミアはロシアだが、ウクライナ東部が独立を主張することは希望しないと言っていた。もっとも、救援物資と称して武器を搬入しているらしいが。

 プーチン大統領は旧ソ連の版図を回復する野心を隠していないが、ワルシャワ条約軍もない今、軍事力を誇示するのは幻想であろう。プーチンは国民の80%以上の支持を受ける独裁者である。とは言いながら、ロシアは民主的な投票で国民の同意を確認しなければならない。彼が北方領土返還を提示するには、日本が西側諸国の中で只一国、ウクライナ問題の本質を理解してくれていると、国民に納得させなければならないのである。

 最近、国際原油価格は一時期の1バレル130㌦から65㌦に急落した。

 石油はロシアの最大の輸出商品であり、生産原価が60㌦近辺だという。このためにロシアの外貨準備は急速に減少しつつあり、ロシアの経済危機がドイツとフランスに波及すれば、EUの対露制裁は見直されるだろう。わが国はいかに行動すべきか。

(おおくら・ゆうのすけ)