朝日のもう一つの反日虚報
マレー「虐殺」仕立てる
実は英軍の共産ゲリラ掃討
今回の朝日新聞の慰安婦問題誤報訂正事件は不可解だ。吉田清治の済州島慰安婦狩りが嘘(うそ)であることは、早くからわかっていた。裏付けが取れなかったからである。始まりはこの男の大阪での講演だった。話の内容は具体的かつ詳細だったと大阪本社版に掲載した。その後に朝日は東京本社版に改めて報じ、16回も取り上げた。
もう一つ、植村隆記者の慰安婦と女子挺身(ていしん)隊を混同した誤報がある。これについては「従軍」慰安婦問題追及のリーダー格である西野瑠美子が「女子挺身隊で動員された人がわれわれの身の回りにも数多く生きているので、日本国民の協力を得るためにはこれを訂正しなければいけないと毎回進言しているが、韓国側は聞く耳を持っていない」と嘆いていた。
私はこの事件で戦時中のマレーでの日本軍による住民大虐殺の真相究明を思い出した。
これには少し前置きが必要だ。この大事業に取り組んだのは、私と同時期にTBSで働いていた中島みち元アナウンサーだ。彼女の夫は私の直属の上司だったのでよく知っている。酒好きでチェインスモーカーだった。定年退職するころには肺癌の初期だったのに、医師が誤診し手遅れで亡くなった。彼女はそれを機に癌の治療について調査を開始し、医療制度・法医学・生命倫理等を学習した。著書・論文も多数あり、ラジオ・テレビでも引っ張りだこだった。その鋭い視線は多方面から注目され、厚生省看護制度検討委員、脳死問題臨時調査会委員を務め、菊池寛賞を受賞した。その守備範囲がさらに広がる。
彼女の夫の父親、つまり舅(しゅうと)松井太久郎は大東亜戦争劈頭(へきとう)シンガポールに進撃した山下兵団主力の第5師団長だった。日本軍の戦域拡大に伴い、松井中将は転任し、終戦時は上海方面軍司令官。蒋介石に徴用されて昭和23年末に帰国し、昭和44年に死去した。
松井は戦争のことはほとんど語らなかったが、戦犯として刑死した旧部下の慰霊のために頻繁にマレーに出向いた。当時、日本の戦争責任や占領地での日本軍の残虐行為がしばしばジャーナリズムに登場した。中島は義父たちがどのようなことをしたのかを知りたくて現地を訪れる。そして合計4年9カ月の滞在の間に重大な事実をつかむ。彼女はそれを「日中戦争いまだ終わらず マレー『虐殺』の謎」(1991年、文藝春秋)にまとめた。
日本軍が無辜(むこ)住民大量虐殺の罪に問われたのは、最近まで地図にも記載がなかったイロンロン地区である。この周辺にはジャングルがあり、戦前はイギリスの植民地統治に反対する共産系華人ゲリラの根拠地だった。日本の占領によりそれが抗日勢力に転換し、イギリスも一転してこれを支援し、パラシュートで戦闘指導の将校を降下させたほか、種々の物資を送り、終戦直前には武器弾薬ともゲリラ部隊の方が日本軍よりまさっていたという。
マレー半島は全般的に治安もよく、井伏鱒二が戦後発表した作家としての従軍日誌に記しているとおり、「これほど軍律が厳しくては兵隊たちは息をつくこともできない」ほどに統制がとれていた。ただイロンロンでは、良民の保護の目的もあって、数度にわたってゲリラを掃討した。特に1942年3月は激戦になり、30人ぐらい殺したという。
戦争終結後、日本軍が移動すると、山から下りてきたゲリラが、主としてマレー人の住民を日本に協力したとして多数惨殺した。イギリスの指揮官はそれまでの経緯からそれを放置した。けれども彼らがマレー共産党として力を持つようになると、イギリス軍も態度を変更してゲリラの討伐を開始する。全面制圧には1948年から63年のマレーシア独立を挟んで10年余りかかった。イギリス軍自ら、どれぐらい敵を殺害したかわからないと広言するほどの規模で、遺体が白骨化しても処理しなかったらしい。
そこに過去の日本軍の残虐行為を捜し歩いている日本人が現れた。彼らは住民に、日本軍の仕業だと訴えれば日本政府からお見舞金を獲得できるだろうと説いたようだ。やがて華人団体が「日本の歴史教科書の『侵略』を『進出』に書き換えた」という問題(実は誤報)をきっかけに、「歴史の真実を後世に残さなければ」と華人生存者の聞き書きを集約して、『日治時期森州華族蒙難史料』が1985年に完成したことになっている。
もっともこの本の出版は1987年で、その費用は大部分、当時筑波大学付属高校教諭(のち琉球大学教授)高嶋伸欣と関東学院大学講師(のち教授)林博史の2人が負担しており、また大虐殺の真相は日本軍の陣中日誌から林博史が「発見」したものだという。
この段階ではローカルニュースの域を出なかったが、朝日新聞が特ダネの形で、日本軍虐殺の遺族らの証言として1988年2月27日に報道した。それが逆に「日本東京朝日新聞」の記事として現地に定着する。それからも朝日は「赤ん坊空中刺殺」という不可能な話を紹介(1988年12月8日)するなど、あくまでも『蒙難史料』の記述を伝えたに過ぎず、その内容に関しては直接責任がない構造になっている。事実を検証することなく、敗戦によって戦犯という名の犠牲になった日本の軍人の名誉を傷つけ続ける――これは慰安婦問題の扱いと似ていないだろうか。(文中敬称略)
(おおくら・ゆうのすけ)