拉致被害者の救出 対金正恩真剣勝負に結集を

山田寛
 1980年代のパリで、韓国で投獄された後亡命した老画家夫妻と知り合った。実に柔和で優雅な二人だった。だが後に、夫妻が、西欧から韓国人を北朝鮮に拉致する工作員だったとの公安情報を知り、仰天した。北朝鮮の拉致工作の淵の深さを体感した。

 昨年5月、北朝鮮が拉致「再調査」を約束した日朝合意から1年。調査はトンネルの中だ。4月末、「最終決戦のとき!拉致被害者救出国民大集会」で、安倍首相は、「この解決なしには未来を描けないと、北朝鮮に理解させることが大切」と強調した。だが、金正恩第1書記は今、未来を考えているだろうか。

 彼は、5月のロシア訪問―重要な初外遊をドタキャンした。幹部の粛清を急増させ、今年すでに15人を処刑したという。恐怖政治の主人公にも恐怖が跳ね返り、国をあけるのが不安になったのか。少なくとも、現在の自己の権力固めで超多忙なのだろう。

 そんな独裁者には、日本も強い力で、拉致問題に関心を向け直させるショックを与えなければならない。国民大集会でも「オールジャパンの力で」という言葉が繰り返された。だが、そこには今回も共産党、社民党、生活…の代表の姿はない。以前、「日本は朝鮮半島を植民地とし補償もしていないのに、『9人、10人返せ』ばかり言ってもフェアじゃない」と名言(迷言)を吐いた議員がいたが、そんな意見の議員もまだ少なからずいるようだ。

 ネット世論でも、脱北者救援運動家が「日朝合意では、遺骨、残留日本人、日本人妻などを同時並行で調査することになっているのに、『家族会』は、拉致被害者だけ帰ってくればよいという。利己的だ」と非難し、「政府の頑なな政策」と合わせ批判したりしている。

 私も以前、北朝鮮残留孤児について本を書いたし、残留者の早期帰国を強く願う。だが、やはり拉致という最悪の国家犯罪の被害者が先だ。その返還を第一に要求するのは、若い独裁者に、国際社会はそんな犯罪を二度と許さないと認識させることでもある。

 政府や与党も問題がある。例えば、拉致と闘うシンボルのブルーリボン・バッジ。拉致が内閣の最重要課題と言うなら、なぜ全閣僚がバッジをつけないのだろう。

 外国に行く高官や国会議員、在外の大使、外交官もつけて、この問題解決にかける日本の熱意を広く知らせてほしい。だが、家族会支援の「救う会」の幹部は「拉致にぬるい態度の外務省が、外交官にバッジをつけろというわけがない」と不信を口にする。

 「救う会」の西岡力会長によると、外務省は安倍首相に、拉致以外の報告を先に受け取るよう提言しているという(雑誌「正論」)。首相の決意が正確に北に伝わっているか疑問になる。

 北朝鮮は最近の日本の「マツタケ不正輸入事件」摘発に関し、協議不能との脅しをかけてきても、安倍首相への非難攻撃はまだない。北朝鮮も協議をやめられないのだ。

「家族会」の横田夫妻は、日本政府は「真剣勝負で交渉してほしい」と訴える。政党も閣僚も、外務省も世論も、今こそオールジャパンで一層真剣勝負の気構えを共有すべきだ。

 そしてもう一点。金正恩氏が万が一にも、処刑政治を拉致被害者に広げ、死亡の証拠作りをしないよう、「そうしたら絶対分かる。日本と金正恩王朝の関係は全く終わりとなる」との強い警告を、今一度、二度、三度発信しよう。念のため、彼の心に明確なくさびを打ち込むべきだと思われる。

(元嘉悦大学教授)