翁長雄志沖縄県知事礼賛に終始する地元2紙
浜比嘉勇・沖縄市議に聞く
「中国の脅威」議論避ける
翁長雄志知事が2014年末に就任して以来、沖縄の地元メディアが普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に反対の論調を続けている。こうした中、沖縄市議会の浜比嘉勇議員(会派躍進)は昨年12月の議会で、報道が翁長氏の礼賛に偏っており「沖縄2紙の購読をやめた方がいい」と発言、波紋を呼んだ。1月7日に那覇市のホテルで開かれた自民党沖縄県連の新年会でも、「辺野古反対」一辺倒な地元メディアを批判する意見が相次いだ。浜比嘉氏に沖縄のメディア報道、基地問題、基地の跡地利用などについて聞いた。(那覇支局・豊田 剛)
公平公正な報道へ新しい日刊紙を
12月議会で「沖縄2紙の購読をやめた方がいい」と発言し、地元紙が大きく取り上げた。どのような反響があったか。
実は9月の議会でも「新聞の購読をやめたい」と発言をしたが、その時は地元紙は一行も書かなかった。12月には、「俺はもうやめた。みんな、やめよう」と発言した。激励の手紙を何通ももらったが、その中には「良いことを言ってくれた。私もそう思っていた」と書かれていた。知人からは「もやもやしていたものが取れ、すっきりした」と言われた。
今の沖縄タイムスと琉球新報は、翁長知事の「オール沖縄」の宣伝だらけだ。そんなものに購読料を支払うのであれば、本を買って読んだ方がましだ。マスコミは権力に対峙(たいじ)し正しい政治を行っているのかチェックすべきなのに、それをしていない。
沖縄県の課題は「辺野古反対」だけではない。教育、福祉もある。尖閣諸島(石垣市)の状況に対して県として動こうとしていない。中国のワンマンプレーを止めるには沖縄から声を上げるべきだ。
昨年は戦後70周年の節目ということで、戦争被害のネガティブキャンペーンをしていた。私は兄も祖父も戦争で亡くした。叔母はひめゆり部隊で亡くなった。戦争に対するいろいろな思いはあるが、前を向いて歩くべきではないか。
マスコミに対しての提言は。
沖縄のマスコミが権力の一つになっている。そして、マスコミの書くことが正義だと県民が思ってしまっている。昨年、辺野古問題で翁長知事が訪米した時、2紙の編集局長らが大名行列のように付いていって、翁長知事の礼賛記事を書いた。こういうものは本当ならば、若い記者に行かせないといけない。
物を言えない風潮が県民の中にあり、マスコミを恐れ過ぎている。特に、政治家は理念と信念を持って行動すべきだ。「こうしたら票が減る」とか恐れていたらダメ。
政治に一番重要なのは防衛と外交だ。防衛と外交で国民の生命と財産を守ることから始まる。それからインフラ、教育、社会福祉、経済ができる。マスコミはこの部分の議論を避けている。だから、沖縄の領域が侵されても一行も書かない。将来、公正公平な新しい日刊紙を作りたいという思いを持っている。
7月の議会では「普天間飛行場の地主は、接収当時は苦悩したが、復帰で借地料が6・6倍に伸び、その時から地主の苦労はなくなった。接収されて喜んでいる」と発言した。発言の真意は。
土地連(一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会)の会長をしていた時、宜野湾市の地主会の総会などに何度も参加したが、「できれば返さないでほしい」と何人かの地主から直接聞いた。県内の地権者は5万人弱で人口の約4%になる。世界一危険と言われる普天間飛行場はどこかに移してくれという圧倒的な県民の声があり、「ここは我慢しなければいけない」と地権者に説明した。今はそういう方向に向いている。9万7000人が暮らす宜野湾の市街地と住宅地の上を飛ばない辺野古を比べてみて、人の命と自然を秤(はかり)に掛けてみて、どちらが重いのか、考えれば誰でも分かる。
地権者からすれば安定した収入が欲しいし、基地がそのまま残る方が楽だというのが本音だ。これまで返還後の給付金は300㌶以上の「大規模跡地」で最大6年間、それ未満の「特定跡地」は3年間だった。跡地が使えるようになるまで10年から15年かかる。その間、収入はないが固定資産税を払わなくてはならない。3年では短すぎる。
そこで、私が国会に何度も行き、駐留軍用地跡地利用促進法が成立した。その結果、たとえ20年でも跡地の使用収益が出るまで給付金を受けられるようになった。これで安心して返還できる。
普天間飛行場の跡地にディズニーリゾートを誘致する計画は地権者にとっていい話だ。沖縄にこれ以上、大型商業施設は要らない。パイの奪い合いになってしまうだけだ。
沖縄の基地問題を解決するために何をすべきか。
昨年、4回ほど地元の飲食店でパーティーを開き、仲井真弘多前知事、沖縄防衛局長、在沖米総領事、米軍の司令官クラスらを招いた。沖縄の伝統芸能を披露しながら楽しい時間を過ごしたが、こういう場を持つことが大切。ただ、交渉のテーブルに着くのではなく、心の通う交流をすればどこか政治の落としどころは見えてくる。
桑江朝千夫・沖縄市長はキャンプ・キンザー(浦添市)の倉庫群の受け入れに前向きだが、「簡単にOKするな」とは市長に言ってある。米軍施設は市にとって負担であるが、これをチャンス、メリットに変えるのが政治の仕事。沖縄市は人口だけ見れば県内第2の都市だが、買い物客は近隣に奪われてしまった。もう一度、活気を取り戻すチャンスだ。できるだけ良い条件を引き出せば、次の市長選は運動をしなくても勝てる。
はまひが・いさむ
昭和21年コザ市(現在の沖縄市)生まれ。東京電機大学卒業後、民間企業勤務を経て、沖縄市軍用地主会事務局に9年間勤めた後、昭和61年に市議会議員に初当選。在任中、沖縄県軍用地等地主会連合会の会長を2期4年務める。元市議会議長。現在は8期目。






