国は「屋内全面禁煙化」に責任を
五輪に向けた禁煙の取り組み
日本医師会常任理事 羽鳥 裕氏に聞く(下)
日本は、FCTC(タバコ規制枠組条約2004年署名、批准。05年2月27日から発効)批准国で、締約国は公共の場での受動喫煙防止対策を促進することになっている。また、国際オリンピック委員会(IOC)は、10年に世界保健機関(WHO)と「たばこのないオリンピック」を目指すことで合意し、開催都市に規制強化などを促している。しかし、日本では、受動喫煙防止が努力義務にとどまるなど、対策は進んでいない。20年に東京五輪を控える中、今後の禁煙運動の課題について日本禁煙科学会(高橋裕子理事長)が主催する「第10回日本禁煙科学会学術総会in神奈川」(昨年11月7日~8日)の学会長を務めた日本医師会常任理事の羽鳥裕氏に聞いた。(聞き手・山崎洋介、窪田伸雄)
深刻さ伝える教育が必要/有害リスク高い受動喫煙
成分を明示しないたばこ会社/5000種の化学物質とも
受動喫煙には、具体的にどのような問題があるか。

はとり・ゆたか 1948生まれ。78年、横浜市立大学医学部卒業。川崎市幸区医師会理事、川崎市医師会理事、神奈川県医師会理事を歴任し、現在は日本医師会常任理事。88年、はとりクリニック(川崎市幸区)開設。産業医も務める。禁煙活動には学生時代から取り組む。
喫煙者自身は、空気を勢いよく吸い込むので、たばこが高温で燃焼され、有害物質が一部無害化された煙を吸っている。
一方、受動喫煙のひとつとして、灰皿にあるたばこの煙への暴露があるが、この場合、低温で燃焼していて、タールなどの有害物質が空中に放出されているため、それを吸い込む受動喫煙者は喫煙者以上に有害物質にさらされる。もちろん喫煙者の吐き出した呼気にも有害物質があるので二重に被害を受ける。
また、最近「サードハンドスモーク」と言われるものがある。喫煙者が、隣の部屋やベランダで吸っても、たばこの有害物質が服や髪、顔、手の表面に付いて、例えば、そのまま乳幼児に触ると有害物質に乳幼児が暴露することになる。
喫煙環境を分煙すると言っても、完璧に仕切っているならまだしも、例えば上に2㌢くらい隙間があるというように、仕切ってなければ全く意味がない。また、ドアから人が出入りする時に、流れてきてしまう。喫煙する部屋が隣にあると、汚染されてしまう。
日本たばこ産業(JT)は「吸う人も吸わない人も共存できる社会」と言って、分煙を推進しようとしているが。
喫煙者のイメージアップを狙って喫煙者を社会に容認させようというコマーシャルであるが、分煙環境をしっかり整えるのはなかなか難しい。例えば、雑菌を手術室や無菌室に侵入させないようにするときは、手術室や無菌室の空気圧を常に高くして、空気が外部から流れてこないようにし、さらに途中に気密室を作って、着替えもさせる。それだけのことをしないと空気を分断するということはできない。ドア1枚だけで作ろうとしても難しい。
Aというお店とBというお店を別々に作って、一方を禁煙、もう一方を喫煙可にするという形ならまだしも、出入り口が一つでレジも一つというやり方だとうまくいかない。本気で分煙するなら、今の2倍、3倍のお金をかけないと難しい。JTから見せてもらった図面を見る限りでは、今のところそこまでやっていない。
日本が批准した「たばこ規制枠組み条約」のガイドラインでは、「屋内完全禁煙」を求めているが。
一人一人の議員が十分、吟味せずに批准した一面もある。本気で批准したならば、例えば、受動喫煙防止法などがもっと早く実現しているはずだ。ただ、国としてすでに批准した以上は、屋内の全面禁煙化に向けて責任を持って取り組んでほしい。
たばこには、ニコチン、タール以外にどんな有害物質があるか。
JT等たばこ産業は、成分を明らかにしない。内部情報、分析情報からは、たばこに入っている化学物質は、4000種類とも5000種類とも言われ、例えば、放射性物質のポロニウムなども入っていると言われている。この他、シアン化合物とか、化学性の毒性物質も入っていると言われている。
しかし、たばこ会社は、たばこにどんな物質が入っているのか明示しないため、禁煙科学の研究者が推定しているのが実情だ。処方される薬剤については、主成分や添加成分などを明示しているが、たばこは全く「無政府地帯」になっている。
禁煙によって、健康が増進され、社会保障にかかる予算がどれだけ削減できるという数値は出されているか。
たばこには、急性期の被害と慢性期の被害がある。20代、30代で吸い始めて、40代、50代と喫煙本数が蓄積されたものが影響して病気になるので、20年、30年と連続した研究が必要になる。喫煙者、受動喫煙させられた者、完全に禁煙環境で暮らした者などの集団を数十万人単位で予後を見ていくなどの研究も必要である。
厚生労働省の国民健康・栄養調査などもあるが、これから医療等IDが普及して、その人の病気のレコードを小さい時から追うことが可能になれば、ビッグデータを扱う研究も増えてくるであろう。喫煙に起因する個別の疾患として、肺がん、口腔咽頭がん、喉頭がん、食道がん、胃がん、尿管がん等のがん、また心筋梗塞、高血圧、糖尿病などの生活習慣病、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、あるいは在宅酸素療法導入数などは有意差のあるデータがある。
すなわち、喫煙率が下がれば確実に医療費は減るものと考える。
一方で、喫煙率が下がってきているのに、肺がんは増えている現状を根拠に喫煙推進派の人は、たばこと肺がんは関係ないという言い方をするが、それは違う。
喫煙年数が蓄積され、10年後、20年後にがん遺伝子を発現させる。肺がんが増えているのは、喫煙の蓄積が影響しているものであり、今後、喫煙率が下がれば、10年、20年後には、肺がんも減ってくる可能性がある。
喫煙によってこういう物質がDNAにこういう損傷を与えたというのは、疫学研究で、10万人、20万人というように全体のデータで見ていくしかない。今後、こうしたビッグデータの扱い方に国も慣れてくると、禁煙による効果が出せるようになると思う。
たばこの値段を上げることで若者が買いにくくなるということはあるか。
結果的にたばこが減るのであれば、ひとつの方法だと思う。ただ、イギリスでは、お金がなくて買えない人のために、もともと20本入りのタバコを、10本入り、5本入りに包装して1本あたりの単価を変えずに、そのような便も図っている。
最近、ライト、スーパーライト、ミント味、メンソール、酸味などたばこにもいろいろな新商品があるが、その中で、特にこれが一番有害というものはあるか。
例えば「タール5分の1」というたばこもあるが、あれはフィルターの穴で調整しているだけなので、実際に体に取り込まれる有害量は変わらない。ニコチンが一定濃度に達しないと満足できないため、例えば、今まで半分で済んでいたのが根元まで吸いたくなる。もしくは、1本吸っていたところが、2本になる。
結局、ニコチン量を十分に吸入するために、同じ量の有害物質を採ることになる。そういう意味で、「軽いたばこ」だから負荷が少ないとは単純には言えない。
一般の人と認識の開きがあると思う。医師のほうが知識を持っているので、たばこの害の深刻度がより実感として分かるということがあるのか。
たばこの害の深刻さが患者を含めて国民に伝わってないとしたら、いわゆる情報の非対称性ということだ。医療者側の伝える力の弱さを示している。病気の深刻さを伝えられていないと思う。例えば、喫煙によって肺の組織、血管がぼろぼろになっていることすら伝わっていない。
治療の場でも、患者さんにいかにわかってもらうかが大切になる。医師は、害を一方的に説明することが多いのかもしれない。認知行動療法という手法を用いるなど、これまで以上に伝える工夫が必要ということだ。
学校医も中学生、高校生に対する教育の現場において、いかにリアリティーを持って伝えられるかが課題だ。