最もやりがい感じた3年間 退官する普天間航空基地司令官 ジェームズ・フリン大佐に聞く

アジア太平洋地域の安定と安全に貢献

 在沖米海兵隊の普天間航空基地(宜野湾市)の司令官交代式が11日に行われる。現職のジェームズ・フリン大佐は基地司令としての任務を終え、退官する。3年間で築き上げた地元との信頼醸成、新型輸送機オスプレイの配備、普天間飛行場の名護市辺野古移設、今後の日米関係などについて聞いた。(那覇支局・豊田 剛)

基地清掃で日米協力/県民に理解された海兵隊の存在

最もやりがい感じた3年間

 ――普天間基地司令官としての過去3年間をどのように総括するか。

 海兵隊員としての最後のミッションが初めての沖縄駐留となったが、これまでのキャリアの中で最もやりがいを感じた。

 過去3年間を振り返ると、実績を大きく二つにまとめることができる。一つはアジア太平洋地域の軍事ミッションに協力することができたことだ。日米両政府は同地域の安全保障と安定に尽力したが、海兵隊の航空隊がある普天間基地はそのミッションに大きく貢献することができた。

 そして、最もやりがいを感じたもう一つは、地元との友好関係が増進したことだ。宜野湾市の佐喜真淳市長や外務省の歴代沖縄大使など政治家、自衛隊、宜野湾市観光協会、宜野湾商工会議所、JAなど多くの個人・団体と関係を持つことができたのは有意義だった。

 また、今年3月に米軍と地元の人々や団体との友好関係を促進する「普天間日米友好協会」(松谷秀夫会長)が発足した。キャンプ富士(静岡県御殿場市)には随分前から友好協会があるが、普天間でようやく発足できたことは感慨深い。

 ――2012年8月には新型輸送機MV22オスプレイの配備があり、基地の周りでは激しい反対運動があった。

 オスプレイが配備される時は、ゲートが反対派に封鎖されたり、ゲートを出入りする軍人、軍属が罵声を浴びせられたりした。そればかりか、普天間基地フェンスが反対派によって汚されるようになった。ところが、これを見かねた地元の人々がボランティアで清掃活動を始めた。まったく予期しなかったことだったが、大いに歓迎すべきことだった。それを通して、反基地活動家の運動が、地元の市民・県民を代弁していないことが分かった。

 やがて、海兵隊員や軍属らも清掃活動に参加するようになった。日本の中の沖縄と米国という二つの文化が共存することを示す良い例だ。普天間基地は、清掃ボランティアの人々を基地内に招くなどして、お互いの交流はどんどん深まっていった。

 ――普天間飛行場の最大の地域イベントは、初夏に開催されるフライトライン・フェアだ。オスプレイを一般公開して、どのような反響があったか。

 基地が一般開放されるフライトライン・フェアは地元と交流できる絶好の機会だ。来場者は、隊員らとの交流や航空機・装備品の展示などを通じて、なぜ海兵隊が沖縄に存在し、同盟国としての役割を果たしているのかを理解してくれた。

 昨年はオスプレイが一般公開されたため、特に注目が集まった。オスプレイの能力・安全性、パイロットの高度の技術、災害・人道支援における運用実績などを見れば、オスプレイ配備の有益性は一目瞭然だ。フィリピンの台風災害時には、被害発生からわずか数時間後に現場に到着した。もしも、日本で同様の災害が発生した場合、要請があれば、瞬時に現場に駆けつけることができる。

 ――県民の不安は払拭(ふっしょく)されたと思うか。

 沖縄県民のオスプレイに対する不安は理解できる。何事であろうと、見たことがないもの、新しい技術には不安が付きものだからだ。だから、オスプレイに対する反対や不安は決して特異な現象とは思わない。しかし、直接見て、正しい情報を手に入れれば、オスプレイがどれだけ有益であるかが分かるであろう。自衛隊も購入計画があると聞いている。

 ――仲井真弘多(ひろかず)知事は昨年末、普天間飛行場の名護市辺野古移設にかかる公有水面埋立申請を承認した。

 辺野古移設は少なくとも両政府が合意したこと。移設までには時間は掛かるが、両国政府や地元にとって最善の方法として決まったことだ。

 辺野古移設後はそこで自衛隊と共同訓練もできるであろう。また、返還後の普天間飛行場がどのように跡地利用されるのか、将来が楽しみだ。

 ――普天間飛行場を沖縄本島北部の辺野古に移設することで運用上、支障を来すことはないか。

 基地機能の移転はどの隊員にとっても、初めは不安だと思うが、海兵隊は環境適応能力が高いため何も心配していない。また、多くの隊員は沖縄本島北部に駐留して訓練しているので、隊員の適応性については、より迅速に応えることができる。

 ――日米同盟の将来をどのように期待するか。

 日本は北朝鮮問題、さらに、中国との間で資源、漁業権、領有権など微妙な問題を抱えているが、日本と米国はアジア太平洋地域で最も強い同盟関係にあり、今後も同地域の安定と発展のために日米間の良好な関係は続くと確信している。


ジェームズ・フリン James G.Flynn

 バージニア工科大学で心理学を学んだ後、海兵隊に入隊。第365海兵隊中型ヘリコプター飛行隊所属。第22海兵遠征師団の司令官などを経た後、国防大学卒業。2009年から11年まで反テロ・国土防衛の統合参謀業務に携わる。新型垂直離着陸輸送機MV22(オスプレイ)の量産試作機の開発にも関与。父親は海兵隊員で沖縄駐留経験がある。