引きこもり問題の淵源 西洋モデル家族の病理
父・母性の調和が自立促す
厚生労働省の「地域共生社会推進検討会」は今月中旬、子供を養う親が高齢化する「8050問題」のほか、介護と子育てなどの課題への対応ついての中間報告をまとめた。「断らない相談支援」を実現するための相談窓口を設ける一方で、親子や親類の関係が希薄になる「血縁の脆弱(ぜいじゃく)化」が進んでいることから、個人の孤立化を防ぐ取り組みを提案するのが柱だ。
この中間報告が公表される直前、児童ら20人が殺傷されるという凶悪事件(川崎市)に続き、元農林水産事務次官による長男殺害事件が発生していた。そんな経緯もあって、筆者は、特に後半部分の「血縁の弱体化」に注目した。「京都アニメーション」社屋に対する放火殺人事件にも言えることだが、こうした凶悪犯罪がなぜ起きたのかを探る上で、容疑者が育った家庭環境の分析は絶対に必要なことだと思うからだ。月刊誌8月号で、家族の病理についての論考が目に留まったので、今回はこの問題を取り上げる。
「『家族という病』を治す」と題して特集を組んだのは月刊「文藝春秋」。筑波大学教授で、精神科医の斎藤環は不登校や引きこもりへの対応に関して次のように述べている。
「従来、戸塚ヨットスクールのように徹底的に矯正せよというタカ派的な方法論と、徹底して受容せよというハト派的な方法論の対立が続いてきました。そのため、適切な手法の普及が遅れたという憾(うら)みがあります」(「ひきこもりの『家庭内暴力』は止められる」)
二つの方法論の対立は当事者を自立させるに当たり、父性原理と母性原理のどちらに軸足を置くかということだが、どちらか一方でうまくいく場合があれば、両方必要な場合も考えられるだろうが、両方の原理のバランスよく働くことが重要なのであろう。
心理学者の故河合隼雄はその著書「家族関係を考える」で、西洋文化は父性原理、つまり自立を推し進めた文化であるのに対して、「日本の家族の人間関係は母性原理優位である」とした上で、「家族関係に単純な基準が存在せず、個性と個性のぶつかりあいが要請されるようになると、そこにはハウ・ツーは存在しなくなる」と指摘している。
5月25日付のこの欄で紹介したように、斎藤は、引きこもりは全国で200万人以上いるとしたが、これだけ多い引きこもりの心理解明を試みる上で、日本の家族の深層に関する、河合の次の言葉も示唆に富む。「少しでも困難にぶつかると母性的な救いのなかに逃れようとする。そして、親の方もそのような甘さをすぐに許容することになってしまうのである」
つまり、親子関係がうまくいかないのは、どちらか一方に原因があるのではなく、親子両方に課題があるということなのだろう。ただ、あえて親の側の問題点を考えるなら、斎藤の分析が的を射ているように思う。
「親が早い段階で適切に自立を促す言動を取っていれば、ひきこもり問題はこじれないからです。そのタイミングを逸してダラダラズルズルと同居生活を続け、愚痴をこぼしながら子どもの面倒を見続けているのは、親御さん側の落ち度だ」。子供の引きこもりで苦悩する親にとっては厳しい指摘かもしれないが、重要な指摘である。
「中央公論」も、「高齢化するニート、ひきこもり」をテーマに特集を組んでいる。その中で、立正大学准教授の関水徹平は、家族以外の人たちとの付き合いが「全く」「めったに」ないと答えた日本人の割合が15%を超えて、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で最も高くなっていることを示した調査結果を提示しながら、「日本はいわば『ひきこもり大国』とさえいえる状況にある」と強調した(「『ひきこもり大国日本に必要な脱『家族主義』」)。
その上で、引きこもりと孤独死を例に挙げて、「なぜ日本人はこんなにも孤立してしまうのか、それを知りたい」と、外国人記者から取材を受けた経験を披露したが、日本で家にこもる人が増えているのは、母性原理優位の社会であることと深く関わっているのではないか。
一方、元次官が起こした事件について、女性の識者が父性原理につながる論評を行っているのが興味深い。動物行動学研究家の竹内久美子は、元次官の息子が母親に暴力を振るっていたことについて「ここまでやっても親は自分に従うだろうかと試しているかのような、舐(な)めた態度には、もっと小さいうちから親ががつんと、ダメなことはダメ、と時に体罰すら加え、人間も含め動物には“順位”というものがあると教えたなら、これほど増長することはなかったのではないか」(「男女の性的欲望はこんなに違う」=「WiLL」)と強調した。
また、評論家の金美齢は「当然、父親の責任もあります。なぜ、息子をあそこまで甘やかしてしまったのか」「自活できずに困るのは子供たちですから、親も突き放す覚悟を持ってほしい」と、親の責任と覚悟の重要性を強調した(「元農水事務次官息子刺殺事件――引きこもりを持つ親たちへ」=「Hanada」)。
前述の著書の中で、河合は子供の結婚の破綻という問題を例に挙げながら「夫婦関係の問題は、子どもの問題として顕現されることが、実に多いのである」としたが、金もまた、「まだ報道では出ていませんか、熊沢容疑者と妻の関係がどうだったのか、気になるところです」と、元次官とその妻の関係に着目している。こうした問題意識は、夫婦関係の改善によって解決する子供の問題が多いことを示唆している。
最期に、家族の病理を考える上で、戦後の日本社会について、河合が鋭い指摘を行っているので、少々長くなるが、紹介する。
「われわれが大家族の家族形態をとってきたことには、それなりの理由があり、それを支えてきた心理的基盤をもっていた。その点を不問にしたままで、経済成長の波に乗って、西洋的なモデル――とわれわれが思っているもの――を直輸入したために、非常に不安定な家族の在り方ができてしまった。それは言うなれば、日本家屋の基盤はそのままにして、その上に洋風のビルディングを建てたようなものである。われわれが心に描いていた『進歩的』モデルに従って建築ができあがってきたと思った途端、そこには深い切れが生じていた」
わが国では今、引きこもり問題、児童虐待、若者の自殺、そして孤独死といった深刻な社会問題が噴出しているが、それらは、河合が指摘した「深い切れ」が具体的な形で表れたものなのであろう。従って、これらの問題への対応を真剣に考えると、弱くなった家族の絆をどうしたら強く結び直すことができるのか、という視点にたどり着くのである。大変複雑で困難な作業ではあるが、避けては通れない課題である。
(敬称略)
編集委員 森田 清策