ひきこもりへの対応 自己肯定感から就労へ

「安心」与え「欲求」引き出す 「欲しい物を買う」が就労促す

 内閣府の調査で、中高年(40~64歳)のひきこもりが推計約61万3000人に上ることが分かった。2015年に若年層(15~39歳)を対象に行った調査では54万人だった。この二つの調査から、単純に計算すれば、わが国におけるひきこもりは115万人に達することになる。

 若年層を対象にした政府調査は、5年の間隔を置いて過去2回行っているが、それはひきこもりは、不登校などをきっかけに起きる若者に多い問題だと考えられてきたからだ。冒頭の調査は昨年12月、中高年を対象に初めて行ったものだ。

 背景には、ひきこもりの長期化と当事者の高年齢化があり、そこからいわゆる「8050」問題が指摘されていた。つまり、80代の親が50代の子の面倒を見る世帯が増えていることだ。放置していれば、生活困窮に陥る当事者の激増などが起きるので、政府もそれまでの「若者に多い問題」という認識を改め、対策に乗り出さざるを得なくなったのだ。

 厚生労働省はひきこもりを「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上にわたって自宅にとどまり続けている状態」と定義する。ただ、これは家から一歩も出ないという意味ではなく、買い物に出掛けることもあるが、実質的に交流する人間は家族しかいない人のことである。

 このようなひきこもりが115万人もいると聞いただけでも、この問題の深刻さが分かるが、実際はこの程度ではないはず。なぜなら、自己責任あるいは甘やかす親が悪いなどの認識を持つ人が多い中で、世間体から調査に正直に答えないケースが相当数ある、と想定されるからだ。

 一般の人たちの中にも、知人がひきこもりの子供を抱えていることを知っていても、日常生活では、その知人の体面を気遣って、ひきこもりに触れないようにしている雰囲気がある。また、メディアでも、親子で“孤独死”していたというような事態が起きない限り報道しない。そうして社会が目を背けている間に、問題はどんどん深刻化していったのである。では、ひきこもりはどれほど広がっているのか。

 30年前から不登校やひきこもりに関わってきた精神科医の斎藤環(筑波大学教授)は、実際のひきこもりは政府推計どころではなく、その2倍の200万人以上がいると指摘する(「『中高年ひきこもり』100万人の現実」=「文藝春秋」6月号)。調査が実態を反映していないとみる根拠の一つとして、斎藤は、当事者の8割近くが男性だったことを挙げている。

 「女性のひきこもりはもっと多いはずですが、男性と違い、社会活動をしていなくても目立ちにくい。家族が『娘が家事をしている』と答えれば、事例として表に出づらいのです」。つまり、女性が2割強しかいないのではなく、表明化しにくいだけであって、調査にそれが反映されていないというのである。女性ほどでないにしても、調査に反映されないひきこもりは、男性にも少なからずいるはずだ。

 「ひきこもり200万人」の根拠はこれだけではない。地方自治体も調査を行っているが、多くの場合、政府調査よりも高い数値になっているというのである。例えば、秋田県山本郡藤里町の社会福祉協議会が2010年から約1年半かけて実施した全戸調査では、引きこもりの割合が全体の9%弱にも達した。

 この数字を日本全体の人口に当てはめると、軽く1千万人を超えてしまう。さすがにそれはないだろうが、斎藤が指摘するように、ひきこもりの実態はとても政府調査レベルで済むような話でないことは確かである。

 人数の多さと高齢化を考えれば、ひきこもりが個人や家庭の責任として済ませられない重大な社会問題であることは誰の目にも明らかだ。当事者の面倒を見る親が健在なうちはどうにかやり繰りして生活していたとしても、親が亡くなった後はどうするのか。生活保護に頼る人が多くなれば、年金制度を圧迫するし、孤独死も増えるのは必至だ。

 親が80代になっているケースが少なくないとすれば、そうした問題が表面化するのは時間の問題である。ただでも対応が難しいのに、政府が今ごろ、調査を行っているようでは、遅きに失するという気もするが……。

 既に都道府県と指定都市に「ひきこもり地域支援センター」があるが、それ以外の自治体レベルでは、親が相談に訪れてもたらい回しにされるなどの不満の声も聞かれる。

 政府が認識を改めて積極対策に乗り出したとしても、簡単に改善できるような問題でないが、「安心」が対応の鍵になることは分かっている。斎藤も「家族から安心を与えられると、自分が承認されたいという欲求が湧き、目が外へ向き始める」と述べている。

 「働け!」とプレッシャーを与えるのは逆効果で、安心を与えることが大切なのだ。本人は当然苦しいし、家族も苦しい。その家族をどう支えるのかということも、支援の一つである。

 また、安心を得たからと言って、すぐに社会に出ることができるようになるほど、生易しい問題でもないのも確かだ。社会参加できるようになる前段階として、同じような境遇の当事者たちが集まり、そこで引け目を感じることなく、ゆったりと過ごせる居場所があれば、社会参加の道が開けてくるのではないか。社会参加とは、実質的には就労である。

 生産年齢人口の減少で、一昨年の外国人労働者数は約130万人に達している。この数字を見ると、ひきこもりの人たちは、わが国における貴重な人材だ、とつい考えてしまうが、この問題は、人間を労働力としてみる社会の風潮がプレッシャーとなって起こる面もあると考えられるから、就労はあくまでも当事者たちが自己肯定感を得るようになった結果だ、と捉えた方がいいのかもしれない。

 斎藤の提言で、興味深いのは、ひきこもりから抜け出す第一歩として「消費活動」に注目している点だ。「働きもしないでお金を使うとはとんでもない」という声が聞こえてきそうだが、そのような発想ではひきこもりは改善しない。

 実質的な最終目標は就労だが、それには当事者から働く意欲を引き出す必要がある。働くことは人間の義務であり美徳だから、働かせればいいだけのことではないか、などの義務感や道徳を押し付けるよりも「何か欲しい物があって、買うためのお金が必要だから働く、という動機がいい」と、斎藤は指摘する。長く当事者たちと接してきたからこそ持ち得た視点だろう。そして、最後に次のように警告する。

 「2百万人という現在のひきこもりの人数は、まだ見て見ぬふりができてしまう規模です。彼らは家から出て来ないので、なおさら目立ちません。しかし、彼らの存在が無視できなくなったとき、その数は1千万人単位に増えているかもしれないのです」

 そうなってからではもう手遅れだ。内閣府の調査が発表となった今、政府、地方自治体、地域、NPOなど社会全体で行動を起こす最後のチャンスである。(敬称略)

 編集委員 森田 清策