琉球新報・沖縄タイムス、共産党と「共闘宣言」

《 沖 縄 時 評 》

一般紙のレッドライン越えた

琉球新報・沖縄タイムス/共産党と「共闘宣言」

共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日曜版8月20日号の1面

 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日曜版(8月20日号)には驚かされた。

 沖縄の地元紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」の両編集局長の顔写真入りのインタビュー記事が「沖縄 不屈の結束」との見出しで1面を飾っていたからだ。そろって米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設への反対を表明し、まるで共産党との「共闘宣言」だった。

前例のない偏向ぶり

 両編集局長とは琉球新報の普久原均氏と沖縄タイムスの石川達也氏で、「沖縄の新聞として米軍新基地に反対するのは当たり前」(普久原氏)と気勢を上げている。

 両紙は曲がりなりにも日本新聞協会に加盟する一般新聞だ。それが政党機関紙上で政治闘争を宣言している。前例のない偏向ぶりだ。同協会の新聞倫理綱領は「正確と公平」をうたい、論評は「世におもねらず、所信を貫くべきである」とするが、それは自らの紙上でのことであって、特定政党との政治共闘はあり得ない話だ。

 それも警察庁が「現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」(政府答弁書=2016年3月)とする、破壊活動防止法に基づく調査対象団体の共産党だ。

 これを産経新聞は「政治的中立が求められるメディアが、特定政党の機関紙上で政策をめぐって“共闘”路線を鮮明に打ち出すのは異例」とし、政府関係者は「2県紙の偏向報道ぶりは最近加速しているが、ここまでやるかと驚いた。共産党とタッグを組むことを宣言したもので、もはや報道機関の名に値しない」と指摘している(8月19日付)。

 ここまでやるか、というのが普通の感覚だろう。沖縄両紙はどうやら一般紙と機関紙の違いすら理解していないようだ。この際、共産党にとって機関紙とは何かを改めて見ておこう。

◆機関紙で党を組織化

 「赤旗」は共産党が1921年に「コミンテルン(国際共産党)日本支部」として創立された7年後(28年)に「赤旗」(せっき)として発刊された。終戦直後の47年に早くも日刊化し、59年に日曜版を発刊。宮本顕治元委員長は「赤旗株式会社」と揶揄(やゆ)されるほど販売に党員を駆り立てた。

 共産党が機関紙を重視するのはコミンテルンの生みの親レーニンの方針だからだ。レーニンはロシア共産党を創立する以前に『イスクラ』(火花)と題する機関紙を作っていた。

 「社会主義の公然たる宣伝の道、公然たる政治闘争の道に進みでるときは全国的政治新聞が不可欠である」(『イスクラ』編集局の声明草案=1900年2月)とし、「新聞は、集団的宣伝者および集団的扇動者であるだけでなく、集団的組織者でもある」(『何をなすべきか』02年)とした。

 余談だが、『イスクラ』の編集室はレーニンの亡命先だったロンドンにあり、戦後はマルクス記念図書館となっている。かつて筆者はそこを訪ね、館員に案内してもらったことがある。レーニンが執筆に使っていたのは2階の狭い部屋で、入るのもやっとだった。

 そんな部屋からレーニンは檄文(げきぶん)をロシアに送り続けた。扇動とは一般大衆に対して単純に一定の意識を持たせ、人の気持ちを煽(あお)り立て、ある行動をそそのかすことを言う。ロシア革命では「戦争反対、人民に土地とパンを」をスローガンに騒乱・革命へと煽った。

 日本共産党の場合、28年に創刊された「赤旗」は「天皇制廃止」だ。前年に開かれたコミンテルン総会で採択された「27年テーゼ」が天皇制廃止をうたっていたからだ。

 現在、沖縄では「反辺野古」「反米軍基地」と煽っているが、これは米帝(米帝国主義)を日本から追い出すための民主主義革命(その後に社会主義革命がある)を標榜(ひょうぼう)する党綱領(テーゼ)によるものだ。

 では、集団的組織者とは何か。それは新聞の配達・購読を通じての党の組織化を指す。自転車に乗った高齢の党員が住宅地図や配達順路図を見ながら「赤旗」を配達している風景を時々、見掛けることがある。

 配達が選挙での集票に直結している。これが共産党の強みだ。同じように日刊紙を配達するのは公明党(公明新聞)ぐらいのものだ。だから両党とも組織政党なのだ。ネット化が進んでも電子新聞にはしないだろう。

 とりわけ日曜版はその先兵だ。日刊紙が20万部弱なのに対して、日曜版は100万部近くある。価格も日刊紙の4分の1程度。まずは日曜版を取らせ、それを日刊へ、さらに党員へと勧誘する。党勢拡大の入り口と位置付けるのが日曜版だ。

 その日曜版の表紙(1面)を新報の普久原、タイムスの石川両編集局長が飾った。つまり党勢拡大の「顔」の役割を担った。このこと自体が政治活動そのもので、一般紙としてのレッドラインを越えた。「もはや一般新聞の名に値しない」と断じられるのは当然だ。

◆赤旗拡大にお墨付き

 沖縄の共産党は新報とタイムスのお墨付きを得たのも等しい。これを手に党員は「ぜひ新報(あるいはタイムス)の『日曜版』として購読してください」などと言って、読者の家を回っているのだろうか。

 「赤旗」の購読をめぐっては各地の自治体で問題化している。福島県須賀川市では議員の毎月の報酬明細書に「赤旗」の項目があり、市議会事務局が購読料を販売店に代わって天引きして徴収していた(本紙8月30日付)。

 神奈川県鎌倉市では共産党市議らが係長級以上の市職員に「赤旗」の購読を勧誘する状況が30年以上にわたって続いていた。鎌倉市職員の労働組合は共産系労組の自治労連に加盟しており、約500部が配布されていたという(産経14年4月5日付)。

 共産党が与党の革新自治体はもっとひどかった。その典型例が美濃部革新都政(1970年代)だった。当時、筆者は都庁詰めの記者をしていたが、係長クラス以上のほとんどの幹部職員の机の上に「赤旗」があるので、不思議に思って調べると、庁内の党員が「人別調査表」というのを作成していたことが分かった。

 いわゆる思想調査で、職員一人一人の趣味や性格、「赤旗」、日曜版の購読有無などが一覧となっていた。例えば、こんな具合だ。

 A局長①「赤旗」自宅購読②カンパOK③理解深い/B部長①「赤旗」自宅購読②官僚系T副知事系/C課長①日曜版購読②カンパOK③上層部との結び付き強い/D係長①クリスチャン②反共③都職労分会委員・危険分子

 職場だけでなく自宅でも購読を強いていた。こういう思想地図を都庁内にくまなく作り上げ、「赤旗」と日曜版の購読をチェックし、機会があるごとに“攻める”のだ。まるで旧ソ連のKGB(治安機関)を思わせた。当時、都庁の管理職はざっと6000人。購読勧誘から逃れるのは、まず不可能だった。都庁の「赤旗」は共産党の資金源だった。

 これは70年代の革新自治体時代だけの話ではない。東北のブロック紙「河北新報」のネット版を見ると(6月21日付)、青森県むつ市の課長職以上の幹部職員の約4割が共産党市議の勧誘で「赤旗」を購入していたと報じている。

 市幹部の一人は「議会活動などで市議から嫌がらせを受けたくなかった」と明かしている。同市は保守市長で、市議会(26人)では共産党市議は2人だけだ。

 それでこれなら、共産党が与党の沖縄県議6人、那覇市議7人などがいる革新自治体はどうなっているか。沖縄の場合、県職労など自治体労組の多くが自治労(沖縄では社民党系)に入っており、共産党はそうそう「赤旗」拡大に動けないかもしれない。

 だが今回、新報とタイムスのお墨付きをもらった。これで堂々と機関紙拡大の道が開けた。ここでも差し当たり「日曜版からお願いします」と迫っているのではないか。

 いずれにしても琉球新報と沖縄タイムスは偏向新聞どころか、共産党支援新聞に成り果てた。公安調査庁よ、両紙も調査対象に加えておいてもらいたい。

 増 記代司