「安楽死」の是非 死も「自己決定権」か

タブー視せず「命」考えよ

 「文藝春秋」に最近、がんをはじめとした医療、健康、認知症などをテーマにした論考が目立つ。読者の高齢化を意識してのことだろう。

 3月号は、「安楽死は是か非か」をテーマに、特集を組んだ。日本では「死」を論じることをタブー視する風潮が海外よりも強かった。キリスト教の影響の強い西欧諸国では、死を生の終わりとして捉えるよりも「天国に行く」「亡くなった人に会える」と、楽観的に考える人が多いようだ。

 一方、日本人は宗教の影響が弱く、明確な死生観を持たない人が多い。そんなことから、死を全ての終わりと考えて悲観的になるから、死を論じることを避ける風潮があったのだろう。

 だが、超高齢社会を迎えたことで、老老介護に疲れて、長年連れ添った配偶者の命を奪うといった事件や孤独死が社会問題化し、それに伴い、月刊誌に限らずテレビ、新聞でも、死を論じることが多くなっている。誰もが迎える死を論ずることは、生を考えることにつながるのだから、前向きに捉えたい昨今の流れである。

 「文藝春秋」の特集で、興味深かったのは、有識者60人に対して、安楽死や尊厳死の是非を問うアンケート調査を行ったことだ。わが国では、安楽死は別にしても、尊厳死の法制化は議論されているが、まとまらないのはその定義が曖昧であることや容認する条件が定まらないからである。

 同誌は安楽死の定義を「回復の見込みのない病気の患者が薬物などを服用し、死を選択すること」、また尊厳死は「患者の意思によって延命治療を行わない、または中止すること」として、その是非を問うている。

 それによると、安楽死に賛成は33人、尊厳死に限り賛成20人、安楽死・尊厳死に反対4人。高い割合で、安楽死・尊厳死を容認する結果となっている。アンケートの対象になったのが作家や芸術家などの有識者だから、容認する割合が高いのかと思い調べたら、そうではなかった。

 NHKは2014年10月、全国の16歳以上を対象に「生命倫理に関する意識」調査を行っている。それによると、安楽死は73%、尊厳死になると84%も容認している。安楽死を認める国はスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そして米国の一部州で、まだ多くはない。もちろん、実施に当たっては、厳格な基準が決められており、無制限に死に行く自由を認めているわけではない。

 尊厳死については、韓国や台湾で法制化され、アジアにも広がっているが、一般論として容認しても自分や家族の現実の問題になると、この数字通りではないだろう。

 ただ、尊厳死だけでなく安楽死をも容認する傾向が強まっている背景には、二つのことが考えられる。一つは、医療技術の進歩によって、人間としての尊厳が確保されているとはとても思えないような生かされ方を、病院で強いられている患者が増え、“不自然な生”に対する拒否感が強まっていることだ。

 もう一つは、いわゆる「自己決定権」の考え方が西欧諸国を中心に広まり、それが死に方にまで及んでいることがある。同誌のアンケートでも、安楽死に賛成する理由として最も多かったのは「人には、自分の死を選ぶ権利がある」というものだった。

 「周りの人に迷惑をかけたくない」という理由で安楽死を容認する人も多かった。その一方で、特集の中の論考で、家族のために辛くても生きるという選択肢もあることを示唆したのは、浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗だ(「僧侶が認知症患者を見送って」)。釈は「死は決して自分一人の範囲内で完結するのではない」と指摘している。その例として、自分の祖父の死を挙げた。

 僧侶の祖父ががんになって気道切開をしなければならなくなった。しかし、小唄を趣味にし、のど自慢だったこともあり、「そのまま、死なせてくれ」と、家族や周囲の説得にもかかわらず手術を拒否した。しかし、最終的に手術を受け入れた。

 手術から約1年後、祖父は死亡したが、その間、手術を受けたことを後悔しつつも、筆談などでコミュニケーションを取り、孫や家族と「濃密な時間」を持つことができたという。だから、釈は「祖父の最期の一年は、利他のための一年ではなかったか」としている。

 この反対のケースもあるだろう。手術を受けた後、苦しんで亡くなった場合、残された親族は、手術を受けさせたことを後悔するかもしれない。いずれにしても、死は本人だけのものではないという視点は重要だ。命は本人だけのものではないから、自由にできないとの視点を欠いた安楽死や尊厳死の議論の危うさも指摘しておきたい。

 一方、「文藝春秋」の特集の中で、「人には自殺も含めた安楽死の自由がある」としたのは医師の近藤誠(インタビュー「私はこのがんで死にたい」)。本人の同意なしの安楽死は「殺人に等しい」と語る一方で、「不治の病にかかった患者が、熟慮の末に安楽死を選択するオプションはあってしかるべきだ」というのである。

 この考えに至ったのは、医師という職業と深く関わっているのだろう。不治の病に侵された人は、自殺を試みるケースがあるし、近藤も自殺の相談を受けると述べている。ただ、近藤が自殺を勧めているわけではない。

 編集委員 森田 清策