「LGBT」のジレンマ 当事者内に亀裂生む

「性」の生々しさ付きまとう

 保守系の月刊誌を中心に日韓・日中関係、そして米国のトランプ新大統領就任をテーマにした論考が目白押しの月刊誌2月号の中で、「世界」の鼎談(ていだん)「LGBTと『ローカル』の力」が目を引いた。左翼誌らしく当事者の目線から性的少数者の抱える問題点を考える鼎談だったが、LGBT運動に対する理解を深めるというよりも、当事者や支援者たちの抱えるジレンマや自己矛盾が垣間見える企画だった。

 鼎談したのは、フランス人の同性愛者で作家のフレデリック・マルテル、タレントで女性同性愛者の牧村朝子、高岡法科大学准教授で編著に「性的マイノリティ判例解説」のある谷口洋幸。

 「LGBT」という言葉は米国から入ってきたが、ここ数年、リベラル・左派のメディアだけでなく、多くの新聞やテレビが頻繁に使っているため、社会に定着したかのような印象を受ける。しかし、その言葉が意味する内容は曖昧であり、一般の人がLGBTの実像を理解するのはかなり難しい。

 この鼎談でLGBTと一括りにすることの問題点を浮き彫りにしたのは、レズビアン(L)・ゲイ(G)の活動家とトランスジェンダー(T)の活動家が「衝突を起こしているような場面に出くわしたことはありますか」と、谷口がマルテルに質問した時だ。

 それに対して、マルテルは「フランスでは常にいたるところで、対立していますよ」と答えている。ただ、「さまざまな人道的目的を掲げた諸団体についても、同じことが言える」と付け加えて、性的少数者の対立だけを際立たせないように配慮したが、LGBTの運動が深刻な問題を抱えていることは否定しようがなかった。

 多様性を尊重する社会を実現しようという大義名分を掲げながらも、「特定のポリティカル・コレクトネスに強硬にこだわるあまり、異論を認め合って議論することができない人が一部います」と、性的少数者内に排他性があることを認めた。

 このほか、LGBTという言葉には、本質的な問題がある。LGとB(バイセクシャル=両性愛者)は性的指向における分類で、T(トランスジェンダー)は性自認の問題だ。それをLGBTと同列に扱うには無理があり、逆に「細かな個別事情を議論したりするときには、問題が見えにくくなりますね。たとえば、『T』や『B』などの存在や課題はほぼスルーされることが多い」(谷口)。

 さらに問題なのは、性的少数者はLGBTだけではないことだ。昨年5月、日本学術会議法学委員会「社会と教育におけるLGBTIの権利保障」分科会が主催して行ったシンポジウム「教育におけるLGBTIの権利保障」がその舞台だ。主催者を代表して開会のあいさつを行った三成美保・奈良女子大学副学長が次のように語った。

 「LGBTIという言葉はさまざまな問題をはらむ言葉だ。LGBは性的指向、Tは性的違和、そしてIと言われるのはインターセックスの略で、性分化疾患の人たちを含む多様な性のあり方を一括してLGBTIという頭文字で表現しているが、当事者からすればそういう言葉で表現してもらいたくないという意見があるということも重々承知している」

 インターセックスとは、生殖系が生まれながらに男女の特徴にはっきり分かれていない人のこと。性的指向と本質的に問題が違うのに「LGBTI」とすることへの反発があるのである。

 では、なぜLGBTというのか。牧村は次のように指摘する。

 「『ゲイ』『レズビアン』という言葉は口に出すのがはばかられる言葉、卑猥な言葉とまだ捉えられていて、『LGBT』と言っておけば上品と考えているのでは」

 谷口も「女性同性愛、男性同性愛という漢字を使うと、生々しい性の話だという感覚をもたれてしまいがち」と説明する。とは言っても、性的指向で人をカテゴリー分けしておいて、卑猥(ひわい)な感覚を持ってほしくないと望むのは無理な話ではないか。

 日本では「性同一性障害」「性分化疾患」という医学用語は受け入れられている。女性同性愛者、男性同性愛者をそれと同列に扱うことで、社会の抵抗感を和らげようという意図が透けて見える。

 マルテルはLGBTという言葉に「アイデンティティを集約されてしまうことは、断固拒否したい」と訴える。確かに、自分という人間を性的指向だけで規定されるのは嫌だろう。しかし、さまざまなセグメントの中から性の部分だけ取り出して「異性愛者」「同性愛者」「両性愛者」とカテゴリー分けをしたのはLGBT運動ではなかったのか。これこそ自己矛盾だろう。

 最後に、マルテルは「日本が同性婚を法制化すれば、間違いなく日本はアジアの現代性を体現した国になる。官僚の皆さんの想像をはるかに上回る強力なソフトパワーのツールになるし、アジア全域から観光客を呼び込むことができる」と語っているが、これは西洋的な発想だ。

 多様性の尊重とはあくまで手段で、それ自体が目的ではない。性的少数者の存在を認めその人権は擁護しながらも、男女の関係とは区別し一夫一婦制を堅持してこそ、日本ならではの多様性の尊重であろう。

 編集委員 森田 清策