下重暁子VS金美齢 すべての家族断罪する独善
「病」とするより良い方向目指す
NHKの人気アナウンサーだった下重暁子の「家族という病」が60万部を突破するベストセラーになったが、最近、書店をのぞいたら、「家族という病2」が積んであった。その少し前には、評論家の金美齢の「家族という名のクスリ」が発売された。同じ家族をテーマにしながら、「病」と「クスリ」という正反対の見方をする両人の人間性の違いはどこにあるのかと考えざるをえなかった。
その金が「WiLL」6月号に、下重を一喝する論考を寄せている(「『家族という病』だなんて、下重さん、あなたはエライのね!」)。その中で、金は下重の家族観について「自分の家族に問題があったということだけです」とした上で、「しかし、自分が辛いからといって、他の家族のことまで『病』だと決めつけるのはどうでしょう」と書いている。
筆者も「家族という病」を読んで、同じ感想を持った。父親や母親との確執があって家族にネガティブな感情を抱く人は少なくないだろうが、それをすべての家族に投影するのは独善的過ぎるのではないか、と。さらに、問題なのは、金の言葉を借りれば、「不健全な言葉」を吐く人を取り上げて話題づくりをするメディアの責任であろう。
家族と個人だけでなく、国家と個人まで対立する存在と位置付け、共同体から解放された人間が自立した個人であるとする進歩主義の考えをまき散らすことで、結婚に消極的な若者を増やす恐れがある。その影響を受けて、独身のまま、高齢者になった時、何を考えるのか。それは個人の責任だと言えばそれまでだが、家族に病だけを見るような人間が増えれば、共同体は崩壊してしまう。
家族と個人を対立するものと捉えるのではなく、対立はあっても「思い合う気持ちがあれば、ときに状況は変わるのです」「大事なのは、各人が『大筋で良い方向』を目指すことではないでしょうか」という金の言葉は珠玉である。個人の殻に閉じこもって、対話を拒絶する姿勢からは何も生まれないのである。(敬称略)
編集委員 森田 清策